peco「乗り越えるために“前”ではなく“上”を向く」最愛の息子と生きていくために #今つらいあなたへ
パートナーのryuchellさんと一緒に、バラエティ番組やCMなどで活躍していたタレントのpecoさん。2022年に夫婦関係を解消した後は、新しい家族のかたちを模索していたが、そのさなかの2023年にryuchellさんが急逝。遺された最愛の息子と生きていくために「さまざまな人の手助けも借りた」とpecoさんは語る。ryuchellさんが亡くなった時、どのような思いだったのか。そして、今どのようなことを思うのか、話を聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
「ryuchellは全部を兼ね備えている存在」今でも最高のパパで旦那さんだったと言える理由
――ryuchellさんとはどのように出会ったんですか。 peco: 高校を卒業して18歳で上京して、原宿の古着屋さんで働き始めた時、同じお店でryuchellも働いていて、一目ぼれしました。私は大阪出身なんですけど、大阪では見たことのないタイプで「あ、かわいい」と思って。私も今まで自分が好きなものを大切にして、信じて育ってきたからこそ、パッと見ただけでryuchellもそうなんだなとわかったんです。その一瞬のビジュアルだけではなく、話していくとそれが通ずるところがあるのもわかって、どんどん大好きになりましたね。周りと違っていたとしても、戦ってきた人なんだなとわかりました。 付き合って初めてお家に来てくれた時の朝、ryuchellがお化粧してたんですよ。人生で初めてお化粧する男の子を見た瞬間でした。ryuchellはもうお化粧を自分のものにしていたから、変だって思わなくて、むしろ魅力的だなと思いましたね。 ――ryuchellさんはpecoさんにとってどんな存在でしたか。 peco: ryuchellとは何でも共有していて、どんなしょうもないことでも全部お互いに話して一緒に笑ったり、お互いのグチを聞いて一緒に怒ったりしていました。お仕事も一緒にしていたので、現場で何か嫌なことがあっても、家に帰ってから「あれめっちゃ腹立ったよね」と一緒に発散してたんです。彼氏でもあり、旦那さんでもあり、女友達でもあり、きょうだいでもあり、お父さんでもあり、お母さんでもあり……全部を兼ね備えているような存在でした。 「ryuchellがいてくれたらもう絶対大丈夫だ」と思える安心感がありました。だからこそ、結婚もしましたし、出産もしました。そういう相手に出会えたこと、そしてわかり合えて、ともに過ごせたことは本当に宝物だなと思っています。 ――ryuchellさんが新しい家族のかたちについて発信した時に、さまざまな声が寄せられましたが、2人でどのような話をしていたのでしょうか。 peco: もちろん汚い言葉やひどい言葉を投げつけるのは違うと思います。ただ「家族はこうあるべきだ」「それでも父親でしょ」「子どもを産んだんだから」という言葉に関しては、私は「そうだよね」と素直に思ったんですよね。みんな考え方が違うのだから、いろいろな意見があって当然です。このお仕事をさせてもらっていて、ありがたいことに私とryuchellは夫婦としてみなさんに応援してもらっていた過去があります。だから、大きな変化をお伝えさせてもらった以上、「そんなこと言わないで」とか「悲しい」って逃げるだけなのは違うよねって2人でも話していました。 イメージを作り上げてきたのも私たちであって、「きっとこう言われると思うよ」「それでもこういう風に進んでいこうね」と話していたんですよね。息子に対しても「あなたは愛されて生まれてきて、ただこれが私たちの家族の姿、ただそれだけなんだよ」と胸を張って言える自分たちでいようと話していました。 ryuchellは息子が生まれてから、よく「素敵なパパだね」と言ってもらっていました。素敵なパパであることは、別にイメージ付けでも何でもなく、私から見ても本当に素敵な最高のパパでした。ただ、ryuchell自身が優しくて一生懸命頑張るからこそ、世間からいただくそういうありがたいイメージも全部素直に背負ってやってくれていた。だから、きっとどんどん苦しくなってきたんだろうなと思います。