テレビに感じた停滞感、世の中との乖離――32歳、国山ハセンが「局アナ卒業」した理由
近々、辞意を会社に伝えよう。そう考えていたある日、デスクでPCに向かい番組の準備をしている最中、たまたま複数の業務連絡メールが送られてきた。細かな内容を一つひとつ確認している最中に、「何かがピンと切れた感じ」がした。 「今だな、と思っちゃって。その瞬間に、上司に連絡をしました。『面談をお願いします』と」 そこから10回ほどの面談が決まり、安住アナとも話すように、と言われた。 「二人で飲みにいきました。止められるというよりは、第一声、『よく頑張ったね』という言葉をいただいて。安住さんはいろんな経験をされて、たくさんの先輩、後輩たちを見てきた方です。正直に、現状や課題点、自分が抱えた思いも伝えて、最終的には楽しくとても有意義な時間でした」 それから数カ月、覚悟していた風当たりは局内で感じることはなかったという。有給休暇は消化できないまま消滅したものの、無事に円満退社を迎えた。
SNSが、アナウンサーにとっては大きなターニングポイントだったのでは
元日本テレビの桝太一は、フリーアナウンサーとして活動しながら、同志社大学ハリス理化学研究所で専任研究所員を務める。元テレビ朝日の富川悠太は、ジャーナリストとしてトヨタ自動車に入社した。局の看板を背負っていた人気アナの動きにも影響を受けたか問うと、大きく頷いた。 「他局の後輩としても、衝撃的でした。でもたぶん、桝さん、富川さんも、男性アナウンサーとしての共通の悩みのようなものがあったんじゃないかなと思うんですよ。30代、40代でキャリアパス的なことを考える中で、今後どうやっていくのか、会社での立場がどうなるのかという、葛藤やモヤモヤ、いろいろと。自分ととことん向き合って、見つけて、キャリアチェンジをされていった先輩たちの姿は、新しいな、と感じました」 業界用語を使い、札束を振ってタクシーを止めた……などの逸話が残り、バブル期のTV局員には、「稼げる職業」代表のイメージがあった。あの時代にアナウンサーになっていたとしたら。