テレビに感じた停滞感、世の中との乖離――32歳、国山ハセンが「局アナ卒業」した理由
テレビに感じた停滞感、世の中との乖離
「ニュースの現場に足を運ぶたびに、自分には何ができるんだろうと考え続ける日々でした」 『news23』の最終出演日、国山はそう言葉にしている。これは偽らざる本音だ。アナウンサーとして得難い経験を積んだが、時間が経つほどに、「もっとやりたい」という気持ちが強くなった。 「用意された原稿を読むとか、スタジオでプレゼンテーションするとかに留まらず、もっと深く、自分が関心を持っていることを取材できないか。企画をしたいと思うようになって。その気持ちの膨らみも、(退局を決めた)大きな要因だったと思います」 その思いを、局内で実現するという選択肢はなかったのか。国山は複雑な表情を見せた。 「もちろん、そういう選択肢もあったと思います。でも自分がやりたいことは、例えば映像の尺ひとつ取ってみても、短いものではなくて、もう少し取材対象者の言葉だったり、番組作りそのものを深く、ゼロから作り上げてみたいという思いがあって。一度環境を変えてみる方が、今の自分には必要だなと……」
テレビでは、やりたいことができない。そういう思いがあったのか。 「制限はすごく多いと思います。時間をかける割に、出せるものも限られていたり、方向性も見えないことがあって」 局内での異動が、すなわちキャリアアップに値するかどうかも、微妙なところだと国山は言う。組織のあり方そのものが古いと感じることもあった。 「新しくしようという動きも感じましたけど、そのスピード感は、自分から見ていてもまだまだ遅い。番組は変わっても、スタッフや企画の取り上げ方、画の見せ方などはずっと変わっていないところがある。世の中の変化を感じる一方で、そういう乖離と停滞感を感じることはありました」
辞意を告げたあと、安住アナと二人で飲みに
TBSといえば、安住紳一郎アナ、江藤愛アナらが看板だ。「スーパー会社員」を自認する江藤アナは、「定年まで勤め上げるのが夢」と語る。ネット隆盛で若者のテレビ離れが加速してはいても、まだまだアナウンサーは花形職業の一つ。全国の大学・大学院生が、就職試験でしのぎを削る。 根っからのテレビっ子だった国山も、そんな大学生の一人だった。7次まであったという試験を勝ち抜き、TBSのアナウンスルームに入室。応募1社目での合格だった。 「本当に、運がよかったと思いますね。ありがたいことです。安住さん江藤さんのように、会社への満足度が高く、やりたいことができているという方もいらっしゃいます。ただ、社会全体がこれだけ変化していく中で、もっとアグレッシブに活躍したいと考える若い世代が、年功序列でゆっくり進む組織で危機感を持つ……これはアナウンサーだけではなくて、制作者や他の企業にも同じように感じているはいると思います。僕は、中から変えるよりも、外に出ることでもっと見えるものがあるんじゃないかと思ったんです」