1日4万回叩く…行平(ゆきひら)鍋の「国宝級職人」が大阪にいはった!
一目一打、叩き直しなしの真剣勝負
金属を硬くするんやったら、同じところを何回も叩けばいいんちゃうのん、と思った私。ところが、そうではないらしい。 「それはあかんのです。同じところを2度打ったらアルミが延びてしまうから、串カツの2度浸けちゃうけど、2度打ちは厳禁です。大きい槌目も小さい槌目も1目1打。1周を同じ大きさ、同じ角度、同じ力で叩かんとあかん。だから作業の途中で電話が鳴っても取りません。リズムが変わってしまうから。行平鍋ひとつでだいたい400~500回叩くねんけど、100点満点パーフェクトで打てたことは、まだないですね。もう、ずっと修行です」 形ができた6寸(直径18センチ)の行平鍋を、姫野さんは11~12分で打ち上げる。左手で少しずつ鍋を回しながら、内底の中心から外に向かって渦を描くように金槌で叩いていく。続いて中の側面から外底、外の側面を叩き、最後に底と銅の境目を、角度と鎚目の大きさを変えながら4周叩く。この境目が一番大事なんやそう。 「鍋の側面に熱を伝える場所やし、五徳にも当たるから耐久性も必要。ここをしっかり叩かんとあかんのです。機械では、叩けません」 確かに姫野作.の行平鍋は、鍋の表面はもちろんのこと、底と銅の境目、縁の厚みの部分まで綺麗に槌目が入っている。鍋底あたりの槌目は大きく、縁回りにいけば段々小さくなっていて、本当に美しい。一打一打、人の手で打っているので、微妙な揺らぎや柔らか味、優しさがあって、このお鍋で魚とか炊いたら魚もさぞかし喜ぶんちゃうかと思うほど。 一般的な行平鍋は厚さが2ミリメートルだが、姫野さんのは3ミリ。この1ミリで耐久性や保温性が増し、熱の当たりも優しくなるそう。機械で量産された鍋が20~30年持つとしたら、うちの鍋はその倍、50~60年持つと言われる。見れば見るほど、私も欲しい~!
継ぐ気がなかった家業を継いで
姫野さんは鍋を作って三代目。1924(大正13)年、祖父が大阪・上汐町(うえしおまち)で鍋工場を創業した。後に、音を気にせず作業することができる八尾に移転。家と仕事場が隣接していたのでうるさいし、一日中、鎚で叩く仕事なんか無理やと思い、高校卒業後は化粧品会社へ就職した。10年ほど営業職を経験したが、28歳のとき、家業を継ぐことになった。30年以上前のことである。 「職人さんが腰痛い、肩痛い言うてる、工場回ってへんみたいやで、ってお袋から聞かされて。それでアルバイトみたいな感覚でやり始めたら、お得意さんから『おっ、店継ぐんか! ようやくやる気になったんか』とか言われてね。箸持つみたいに『金槌、これ使う? 』って職人さんからも言われるし(笑)。いやいや、ちょっと待ってって。でも今思うたら、この仕事やるのが自然やったんかもしれません」 鍋を作るなんてすぐできると思っていたけど、やってみると想像以上に難しかった。父親とケンカして、何度も家を出たこともある。 「親父はすぐ『下手くそや』って言うんですよ。そんなすぐ、上手くなりませんわ。血が繋がってるから遠慮がないし、そんな言い方せんでもって、腹立ちますよね。ほんなら出ていったるわ、って言って出ていくけど、次の日には帰ってきて何もなかったように鍋叩いてる。そんなんの繰り返しでしたわ。 僕にいろいろ教えてくれたんは、職人の伊東さん。その人はほんまにすごい人でね、親父もやったことないって言うてたのに、何回かミスなしで鍋が打てたって言うてました。伊東さんがおらんかったら、今の僕はないですね」