「馬鹿野郎!」罵声が日常の9年半で得た深い学び 伝説の落語家「立川談志」に最も怒られた弟子
「落語家になりたい。いや、俺ならなれるかも」 そんな思いから、3年間勤めた株式会社ワコールを退職し、立川流の門を叩いたのです。 しかし、ここで大きな誤算がありました。 私こと青木幸二青年(本名です、この時点では立川談慶を拝名していないので)は、類い希なる「鈍才」であったのです。 師匠の機微がわからない。 調子に乗って大失敗する。 失敗をリカバリーしようとして、火に油を注ぐ。 そんな具合でしたから、師匠からはたびたび叱責を受けました。
「馬鹿野郎!」なんて、ほとんど挨拶代わりでした。 他団体の場合なら4年ほどで卒業する「見習い」「前座」を、なんと9年半も務めました(これは年功序列を重んじる落語界では、極めて異例なことでした)。 他の弟子より、何倍も怒られました。試しに勘定したところ、入門してから談志が亡くなるまでの20年間、7000日の中で1日複数回怒られたこともありますから、大袈裟でもなくおそらく1万回は怒られていると思います。
ですから本書は、「気づかい上手な私が教える、気づかいのコツ」といった、「上から目線」のものではありません。むしろ私が失敗し、罵倒され、傷だらけで体得したささいな気づきを、飾ることなく失敗ドキュメンタリーの体にまとめました。 「鈍才の大失敗」の数々を、どうぞ大いに笑ってやってください。 その上で、読者の皆さんに何か1つでもささいな気づきがあったなら、「鈍才なりに、頑張ってよかったな」と、報われる思いです。
それにしても、なぜ「狂気」と言えるくらいの気づかいをしたのでしょうか。 談志が怖かったから? もちろんそれもあるでしょう。実際、怒りをあらわにした談志の迫力たるや、いま思い出しても身が縮む思いがします。 でも、本当にイヤなら、師匠の下を去ればいいだけです。そうやって去っていった兄弟弟子はたくさんいました。 ■だから「そこまでやる」のです 私がこれらの気づかいをやり遂げられたのは、ひとえに師匠に「惚れていた」からです。「惚れた師匠を喜ばせること」が弟子の急務で、そうすることが自分の芸人としての可能性を飛躍的に高めることにつながっていくからです。