夢はろう者として仮面ライダーに出ることーーろうの俳優が聴者と切り開く新しい世界
映画のエンディングで字幕が消えた
あるとき、吹き替えで見た映画『ズートピア』がおもしろかったので、山口さんを誘って字幕版を見に行った。 「エンディングで、ガゼルというキャラクターが歌う歌がすごく感動的だったのに、突然字幕が消えたんです。『うそでしょう?!』と思いました。焦って山口さんに手話で『いま、歌』と伝えて。山口さんは『ああ、はい』みたいな感じで。あとから聞いたら『よくあることだよ』と言われて、そのことにもショックを受けました」 また別のとき、ある人気劇団の公演を見にいった。山口さんは事前に台本を読ませてもらえるか問い合わせたが返事がなく、そのまま当日を迎えた。作品は素晴らしく、スタンディングオベーションが起こったが、山口さんは座ったままだった。幾子さんはその姿を見て、自分だけ立ち上がることはできなかった。 「すごくよかったんです。それだけに悔しかったです。この人物にこういう背景があるということがせりふで語られていくお芝居でした。クライマックスを迎えたときに、私の中には感動する用意ができあがっているんだけど、山口さんの中にはそれがないから。帰り道は無言でした。同じ舞台を見たあとなのに、何も話すことがないんですよ。山口さんと別れてから悔しくて泣きました」
そのときのことを、山口さんはこんなふうに話す。 「どんなお話なのか、最初から最後までわからなくて。心から拍手することはできませんでした」 それでも舞台に足を運ぶことをやめなかった。こちらから働きかけない限り、作品を見たいと思っているろう者がいることに気づいてもらえないのだ。ここに俳優を目指したもう一つの理由がある。 「映画でも舞台でも、ろうの役があると思って見にいくと、聞こえる人が演じているんです。それを見るとやっぱり抵抗感があるというか、腑に落ちないところはあります」 「ろうの役をやる聞こえる俳優は手話をしますよね。その手話に字幕がつくんです。一方、聴者の俳優の(発話による)せりふには字幕がつきません。その状況で私が見てもわけがわかりません。聞こえない人が見にくるという想定がないということですよね」 「いっそ自分が演じる側に回れば、作品に字幕がつくのではないか。映画や舞台をつくっている聞こえる人たちに、情報保障が必要だとわかってもらえるのではないか。そう思って、俳優になりたいと考えるようになりました」