「ガンダムシリーズ」は生涯いくら稼いだ? 今1番熱い…バンダイナムコの経営の凄さ
1979年の放送開始から今年で45周年を迎えるガンダムシリーズは、今なお多くのファンに愛される大人気作品だ。作品自体の魅力もさることながら、バンダイナムコホールディングスによる関連グッズ・商品によるビジネス展開も非常に優れたものであった。誰もが知っている、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)、SDガンダム、ゲーム展開を経て、どれだけの売上を積み上げてきたのか。公開データを基に、筆者が最強IP「ガンダム」の作り出した経済圏に迫る。 【詳細な図や写真】ガンダムは誰に刺さったのか?(Photo:Nuntiya/Shutterstock.com)
ロボットアニメ全盛期に「ガンダム」どう誕生した?
ガンダムが生まれた1970年代はロボットアニメ全盛期である。『マジンガーZ』(1972年)や『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)など、アニメ業界の黎明期において「社会現象」となるほど大ヒットした作品が数多く存在した時期である。 ガンダムを生んだ富野由悠季氏は、1964年に虫プロに入社し、『鉄腕アトム』(1963~1966年)で脚本・演出を手掛け、『海のトリトン』(1972年)で監督デビュー、その後、出世作となる“ロボット3部作”を手がける。 1作目『無敵超人ザンボット3』(1977~1978年)では、「ロボットも道路交通法を守る」という“リアルな世界との接続”が作品の中で模索された。それまでの作品ように、ガンガン街を壊す巨大ロボが登場する“子供向け”のファンタジー世界とは異なり、人間社会のリアルを作品に入れ込んだ。この手法に富野氏は「リアルなものを創る」手ごたえを覚える。 2作目は、彼自身が大変だったと振り返る『無敵鋼人ダイターン3』(1978~1979年)だ。単話ごとのぶつ切りで、ロボットがカンフーをしたり、とにかくおちゃらけをちりばめた作品だ。現代のように、アニメ作品は劇場版にもならず、ビデオとしても残らないこの時代は、売りたい商品に合わせて作られる「30分のCM」のような位置付けにある“使い捨てアニメ”が多く、後のガンダムシリーズが見せる深い世界観や人間考察などの要素を作品に入れ込む余地もなかった。 富野氏はこの2作目を経て、単話作品の制作の難しさを知り、それとは異なる「リアルなストーリーライン」を前提とした、各話がつながるテレビアニメ作品として、ロボット3部作の3作目『機動戦士ガンダム』(1979~1980年)に取り掛かったという(注1)。 注1:【サンチャン】「富野由悠季ワールドセレクション」富野監督インタビュー フルVer. サンライズYoutubeチャンネル.https://www.youtube.com/watch?v=yuW0Zn1lxO0&t=3s