「ガンダムシリーズ」は生涯いくら稼いだ? 今1番熱い…バンダイナムコの経営の凄さ
誰に刺さった?「熱を持ったファン層」とは
こうして始まったガンダムシリーズ。複雑なキャラクター同士の関係性とそれが作り出す「深み」は、それまでのアニメにはなかなか見られないレベルのものだったのかもしれない。 だが、そのリアルな作風は子供には受け入れられず、関東は数%台と低迷。クローバー社の合金玩具が売れなかったことで、1980年1月にわずか10カ月で打ち切りが決まる(注2)。 だが、ガンダムはヒットしていた。熱狂していたのが男子児童ではなく、『宇宙戦艦ヤマト』(1974~1975年)で育てられた青年層だったのだ。 それを示すように、当時、ガンダム特集を行った徳間書店の雑誌『アニメージュ』の1979年9月号が17万部も売れ、『アニメック』など含めガンダムで増刊のピークに付けたアニメ雑誌は多い。1981年頃、すでに100万部級になっていた『ドラえもん』を擁する『コロコロコミック』を追い上げるべく、講談社も『コミックボンボン』でガンダムを中心に据え、『プラモ狂四郎』などの作品で立ち向かい、50万部を超える児童向けマンガ誌へ成長していく。 こうした青年を中心とした熱狂が生まれていたこともあり、アニメ放送打ち切り1年後の1981年2月に行われた、劇場版のためのプロモーションイベントでは新宿駅東口に2万人ものファンが集まった。現場はパニック状態の中、富野監督による鶴の一声で静まったという“事件”すら起こっている(注3)。当時はニュースの取り上げも限定的、SNSもない。視聴率と玩具売上からみたアニメ放送の限界を感じるエピソードでもある。 注2:今柊二.ガンダム・モデル進化論.祥伝社,2005年 注3:南信長.1979年の奇跡 ガンダム、YMO、村上春樹.文藝春秋,2019年
起爆剤となる「ガンプラ」、当時の衝撃の売上とは
ファンの顕在化という意味では、「ガンプラ」が、後に衝撃的な数字を上げる。バンダイが「ガンプラ」を誕生させるまでにはいくつかのハードルがあった。 今でこそ、ガンダムIP(知的財産)を名実ともに保有するバンダイナムコHDだが、当時はガンダムの版権を持ち合わせていなかった。そのため、1979年にガンダムの版権を管理する創通に対して、ガンダムを使った製品企画の提案をするも、すげなく断られる。この時、すでにガンダムの「玩具化」に関しては競合のクローバー社がおさえていたほか、創通はむしろライバル会社のタカラと懇意で、バンダイとは取引実績がなかった。 こうした状況の中、ギリギリ参画するチャンスをもぎとったのは、当時、バンダイの子会社「バンダイ模型」にいた技術部次長の松本悟氏だ。 何度連絡しても無視をされながらも、「当社(バンダイ模型)は、“プラモデル”の専業メーカーです。玩具を扱う本社バンダイとは別法人であり、この先も当社は玩具を扱うことはありません」と訴え、強引に“模型カテゴリー”として商品化をねじ込む。この松本氏の「ガンダム獲り」は今も伝説となっている(注4)。 爆発は一気に起こる。ガンプラ第1弾「1/144ガンダム」の発売は1980年7月、20万個売らないと損益分岐に満たないというほどにコストをかけて勝負に出たガンプラは、試行錯誤を重ねる中で、蓋を開けると1年で100万個も売れる(注4)。この数字を踏まえると、およそ10億円という商いとなり、当時年商20~30億円前後のバンダイ模型を揺るがす大ヒットと言える。 なぜこれほどガンプラが売れたのか。それは「1970年代前半に高くて買えなかったロボット欠乏症の青年層」にクリーンヒットしたのだ。合金玩具が数千円、プラモ1,000円という市場相場に、「1体300円」のガンプラに需要は殺到。ただ、本当の伝説はまだまだこれから続く。 1981年にはなんと10倍以上となる約3300万個が売れ、100億円を超える商いとなる。1982年4000万個超、1983年約2800万個と続き、1984年時点で累計1億個に到達するころにはプラモ界のみならず玩具界全体を揺るがすメガヒット商品となっていた(1984年は約1200万個と、ブームはちょうど4年で一幅していた)。 松本悟氏は、なぜバンダイが製作出資もしていない本作にこうして打ち込めたのか。その理由について、言い出しっぺに最後まで仕事をやらせるバンダイの文化にあったと分析する。営業から開発設計までプロジェクトをその1人が推進し、1人の「確信」があれば仕事の裁量もそこに任せるバンダイの文化が、このガンプラの成功事例を作ったのだ、と(注4)。 玩具を扱ったクローバー社は1981年に過去最高売上でブームの後押しを受けたが、その後、『聖戦士ダンバイン』(1983年)、『亜空大作戦スラングル』(1983年)に大きく賭けたが失敗、1983年8月に倒産してしまう。 かたや、バンダイ模型も玩具メーカーのポピーもバンダイに吸収合併され(1983年)、バンダイは1986年に上場、玩具業界の雄となっていく。 注4:松本 悟/仲吉 昭治.俺たちのガンダム・ビジネス.日本経済新聞出版社,2007年