「ガンダムシリーズ」は生涯いくら稼いだ? 今1番熱い…バンダイナムコの経営の凄さ
キャラ玩具最強?「SDガンダム」の凄い稼ぎとは
1984年ガンダム人気一幅に、新シリーズを強く求めるバンダイの要請にこたえる形で、またマクロス、ダイアクロン、トランスフォーマーなどの変形ロボットが人気を集める時期において『機動戦士Zガンダム』(1985~1986年)が始まる。この流れは『機動戦士ガンダムZZ』(1986~1987年)に引き継がれ、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年)に至る。ここまでの10年間がガンダムの一区切りとなる。 かつて10年もヒットが続いた作品というのは多くはなかった。シリーズごとに話を辿り、キャラクターとストーリーをファンが考察しながら情熱を持って追い続け、関連商品をコレクションしていくという循環は、『宇宙戦艦ヤマト』で開拓され、ガンダムで結実した“ビジネスの発明”と言えるものであった。同時期に米国はスターウォーズに沸くなど、奇跡的な時代共鳴もあった。 さらにバンダイはこの時期にキャラクター史に残る「SD(スーパーデフォルメ)」という概念を発明する。漫画『プラモ狂四郎』のアイデアを取り入れ「武者ガンダム」なども登場し、1980年代後半にガンダム本作を見ていない低年齢層のユーザーへと広がっていく。SDガンダムのプラモは、下火になっていくリアルなガンプラをしり目に1989年には販売数で追い越し、「SDのほうがリアルより売れる」状況すら作り上げている(注4)(注5)。 バンダイのビジネスモデル自体そのものが、この1980年代のガンダムの成長とともにあった言えるかもしれない。 一方、同時期には森永製菓が発売したおまけ付きキャラメルは10年強で2億個売れ、30年間おまけ付き商品を展開した同社をしても「ディズニー以外で売れ続けているキャラはガンダムだけ」というほど。「玩菓」ジャンルが確立すると、1981年にはバンダイも玩具菓子市場に進出している。また、キン肉マンの塩ビ人形から始まった「ガシャポン」(いわゆるカプセル型のガチャガチャ市場)では、SDガンダムの販売を開始した。 1988年になるとガシャポンに並んで「カードダス事業」でカードゲーム市場に進出。その数は7年で15億枚に到達し、アミューズメント方面にも展開していく(注5)。なにより時代は家庭用ゲームの革新的な浸透期。1984年のMSX向けなどから始まり、ファミコン向けゲーム『機動戦士Ζガンダム・ホットスクランブル』(1986年)から続々とバンダイのゲーム事業が売上ドライバーになっていく。 1991年度にもなると「キャラクター玩具」はほぼバンダイ一強、ガンダム一強であった。関係者によると、600億の模型市場のシェア3割、300億の玩菓市場ではシェア5割、112億のカプセル市場で65%、166億のキャラクター模型市場と128億のカードダス市場に至ってはシェア98%と完全独占。バンダイは同年玩具メーカー前人未到の1,000億円売上に到達(任天堂は例外、サンリオも同タイミング)。この飛躍の大きな要因は「SDガンダム」によるものだった。 注4:松本 悟/仲吉 昭治.俺たちのガンダム・ビジネス.日本経済新聞出版社,2007年 注5:猪俣謙次.ガンダム神話.ダイヤモンド社,1995年