浅倉秋成「まず良識をみじん切りにします」は、乾いた笑いを呼び起こす水準の高い風刺 書評家・杉江松恋レビュー
社会のひずみに向ける眼の鋭さ
収録作中の白眉は「行列のできるクロワッサン」だろう。舞台は住みたい町としてたびたび名前があがる東京・吉祥寺である。絵美は夫と一人娘と共にそこで暮らす専業主婦だ。ある日絵美は、商店街に店が新しくできているのを発見した。店の前に置かれた黒板には、クロワッサン専門店 ブーランジェリー「イゴル・エディ」と書かれている。絵美は思う。だが、パンもクロワッサンもこの街ではすでに飽和状態、別の種類の店だったらよかったのに、と。そのことがふじの会でも話題になる。同じ小学校にこどもを通わせている、近所の友人たちの集まりだ。イゴル・エディにできた行列が日に日に長くなっていくことを仲間たちは嘲笑い、絶対にあそこでは買わない、と断言する。考えを同じくする仲間がいることに絵美は安心するのだが、彼女たちの思惑を無視するかのようにイゴル・エディは繁盛し続ける。行列は伸びる一方で、ある日絵美は、その中にふじの会のメンバーが並んでいるのを発見してしまうのである。 これは流行りだから並ばなくちゃ、みんながやっているからやらなくちゃ。大きな言い方をすればそういう同調圧力を描いた作品である。同調圧力は異なる社会で生きる者には降りかかってこない。同じ場所で生き、同じ空気を吸うからこそ感じるのである。完全に無視することは可能だが、自分もそこに生きているということから目を逸らすことはできない。その真理を思い知らされる1篇である。さらに凄いのは、諷刺小説としては理想的な形、規模に空想による現実の変形が行われる点で、ある地点から読者は、まるで異界にでも迷い込んだかのような感覚を味わうことになるだろう。 諷刺小説、そうだ、諷刺小説なのである、これは。浅倉はライトノベル寄りのレーベルでデビューした作家で、ミステリー系の作品を書いて頭角を現してきた。伏線技巧で読者を驚かせることから、その名手として賞賛されることが多い。が、伏線は技巧の一つにすぎず、そればかりを言うのはな、と内心思ってきた。『六人の嘘つきな大学生』『家族解散まで千キロメートル』(共にKADOKAWA)といった近作の長篇でも感じたことだが、社会のひずみ、特に共同体を成立させていくために皆が耐えている矛盾点を題材とするとき、浅倉の筆鋒は実に鋭くなり、切れ味を増す。みなが見たくなくて不可視領域に追いやっていることを描く作家なのではないか。諷刺作家としても水準が高い書き手であることを本作で示したのだと私は思う。浅倉秋成に見られるぞ。小説に書かれちゃうぞ。 (文:杉江松恋)
朝日新聞社(好書好日)