浅倉秋成「まず良識をみじん切りにします」は、乾いた笑いを呼び起こす水準の高い風刺 書評家・杉江松恋レビュー
いい話として粉飾しようとしない容赦なさ
どの作品も笑える。からからと笑える。からからに乾いた笑いを呼び起こす。いにしえのキャンペーンコピー風の題名である「そうだ、デスゲームを作ろう」は、憎悪の物語だ。食品会社の営業部門で働く花籠には憎悪の対象がいる。得意先の発注部門にいる佐久保という男で、強い立場であることを利用して理不尽な仕打ちをするようになったのだ。時には直接暴力を振るわれることもあり、花籠はある日我慢の限界を超えてしまう。 そこで彼が選んだのは、預金のすべてをはたいて一軒家を買い、そこを舞台にして佐久保にデスゲームを仕掛けることであった。映画「SAW」シリーズなどでおなじみの、密室に閉じ込められた犠牲者が、死の恐怖に怯えながら脱出するというあれである。自分が受けた傷がいかに深いかを思い知らせるには、単に殺しただけでは済まない。心の底からの恐怖と絶望を味わわせずにおくべきか。かくして花籠は人生のすべてをデスゲームに捧げて動き始めることになる。 この話でたびたび使われているのは「辛抱」という言葉だ。花籠は辛抱の人生を送ってきた。モテず、ぱっとしない青春時代を送ったが、偏差値の高い大学に入りさえすれば一発逆転なのだと自分に言い聞かせ、ひたすら辛抱した。その結果東京大学に合格したが、すぐには薔薇色の未来は訪れなかった。それでもいつかは報われるはずだと信じ、花籠は辛抱を続けた。 彼と同じように辛抱をしてきた人々は、それが報われないということをよく知っている。単純にキャリアを積み重ねていけば成功がつかめた時代はすでに過去のものとなった。人生の出発点ではなく、中途でそれが幻想であることに気づかされた世代に花籠は属している。先に進めば自分を変えてくれる何かがあるという架空の餌に引き寄せられ、いつまでも終わらない辛抱を強制された人々の悲哀を花籠は背負っている。 こうした人生の真実が各話でつきつけられる。一言で表すなら身も蓋もない小説である。ぞくぞくするほどに容赦ない。いい話として粉飾しようとする気配が微塵もないところがいい、と私は思った。作家としての好感度がだだ下がりになってもいいと思っているな、浅倉秋成。