介護現場で何が 先入観覆す綿密な検証―出河 雅彦『おろそかにされた死因究明 検証:特養ホーム「あずみの里」業務上過失致死事件』村上 陽一郎による書評
◆介護現場で何が 先入観覆す綿密な検証 昨年末の「この三冊」企画で、その一冊として本書に触れたが、書評対象にすべき書物の刊行時期が、ぎりぎりの十一月末でのことで、書評欄で取り上げる暇がなかったこともあって、重ねて取り上げる。 ある特養高齢者施設の看護職員(准看護師)が、二〇一三年一二月に施設利用者の一人(八五歳の女性、Aさんとしよう)にお八つとしてドーナツを提供した際に、食後(中)体調不良(意識を失う)となり、結局一カ月後に亡くなった。この出来事を巡って、遺族の訴えもあって、看護職員が訴追され、一審では、検察側の「注視義務違反」という主張が認められ有罪となった。弁護側の請求による高裁での二審では、逆転無罪で結審した。 この裁判には、いくつもの論争点があった。一つは死因であり、もう一つは、「注視義務違反」が成立するか否か、である。さらに当該の「被害者」にドーナツをお八つとして食べさせる、という行為それ自体にも、当時の施設の細かい事情が絡んで、論争点となった。そして、何よりも、高齢者施設で、食事、間食などを、どのような形で、どのように配慮しながら行うべきか、という一般論を提起した意味では、全国の高齢者施設の関係者にとっても、この裁判の行方は切実な関心事となった。 本書は、この二つの裁判に関する、丹念な取材に基づく、極めて綿密なルポルタージュであり、迫真の内容である。裁判は、当然ながら、死因も主題になった。様子のおかしいAさんに気付いた当該施設の職員による救命処置は、Aさんの口中にドーナツの残りがあったことから、ドーナツを喉に詰まらせた窒息状態なのでは、との判断に基づいて行われた。 救急搬送された先の医療機関でも、この点は、一種の先入観になったようで心肺停止状態を脱した後も、特段原因への厳しい究明はなかったらしい。この先入観は、一審においても、大きな影響力を持ったとみられる。高齢者に嚥下(えんげ)作用の不全が起こりがちなことは、正月に餅を詰まらせて死亡する例が後を絶たないことなどから、社会常識になってはいる。一審での訴追内容には「誤嚥」という概念が盛り込まれていた。 ただ、問題発生時のAさんに、通常窒息に伴う苦悶の表情や動作が全く認められなかった点に、不審が残った。言い換えれば、当初から現場でも前提とされていた、ドーナツを喉に詰まらせた結果の窒息死、という認定自体が正しかったか。著者は、まさしく本書で、この不審点に最も強い関心を持ち、執拗とも思えるほど、当事者は勿論、医療関係者などに、情報開示請求も含めて、手段を極めて、聴き取りや取材を重ねている。 例えば一審で証人として証言した、死亡診断書を書いた担当医と、検察官、弁護人との遣取り、後に鑑定意見書を書いた医師との同様の遣取りなどが、実際に再現されていて、読む方は息詰まる思いに駆られる。その遣取りの中で、他の可能性のある死因として、脳梗塞、心室細動などの可能性が浮上した。しかし、判決では窒息説がそのまま採用された。 弁護側は、当然、脳梗塞説の可能性を弁護に取り入れるが、一審では、この点は取り上げられなかったことになる。しかし弁護側の控訴による二審では、検察側は「誤嚥」の項目を訴追内容から外したという。証言した医師も、オーストリア救急の現場から上げられた報告を新たに読んで、脳梗塞の可能性が非常に大きくなった旨を語ったという。 従来繰り返し指摘されてきたことだが、検視と、死因究明のための解剖との間には、法律上も、実際上も非常に大きな距離がある。幾つか法改正は行われてきたが、現場を考えれば、それも無理ないことかもしれない。逆転無罪判決となった二審でも、この死因についての詮議は素通りされていると著者は書く。そのこと自体、改めて詮議されて然るべきなのに、という著者の思いが伝わる場面である。 主要なもう一つの論点は、ドーナツをお八つに配ることについての議論で、著者は、その点でも、裁判における証人と検察・弁護両者との対話をリアルに再現する。例えば、弁護側の証人として立った看護職として著名なK氏は、自分で実際に当該のドーナツを食べ、あるいは、職場の同僚にも試みて貰ったが、ごく自然に口中で砕け、溶け、窒息を起こすような嚥下不全に至る可能性はない、と明言する。検察が、二審での訴追内容を変更したのも、こうした諸点を考慮してのことだったのだろう。 ただ、この裁判では、著者も強調するように、ただでさえ人手不足の高齢者施設に働く人々の志気にも、多大の影響のある出来事でもあり、訴追され、長い時間看護職員をはじめ、関係者が拘束されたこと自体も問題だったのかもしれない。その点の追跡も、著者は忘れていない。 こうした現代日本社会の抱える極めて重大な局面を幾つか備えた課題に、鋭く切り込んだ本書は、教えられると同時に、考えさせられるところの多い書である。 [書き手] 村上 陽一郎 1936年東京生まれ。科学史家、科学哲学者。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。上智大学、東京大学先端科学技術研究センター、国際基督教大学、東京理科大学大学院、東洋英和女学院大学学長などを経て、豊田工業大学次世代文明研究センター長。著書に『科学者とは何か』『文明のなかの科学』『あらためて教養とは』『安全と安心の科学』ほか。訳書にシャルガフ『ヘラクレイトスの火』、ファイヤアーベント『知についての三つの対話』、フラー『知識人として生きる』など。編書に『伊東俊太郎著作集』『大森荘蔵著作集』など。 [書籍情報]『おろそかにされた死因究明 検証:特養ホーム「あずみの里」業務上過失致死事件』 著者:出河 雅彦 / 出版社:同時代社 / 発売日:2023年11月30日 / ISBN:488683955X 毎日新聞 2024年1月27日掲載
村上 陽一郎
【関連記事】
- 聖書神学の大家が内村鑑三を丹念に掘り下げた大作、現代日本への静謐なクリティーク―関根 清三『内村鑑三』村上 陽一郎による書評
- 常に奪われる側の横に立ち、奪う側を問う視線は、読者にも注がれる―マシュー・デスモンド『家を失う人々 最貧困地区で生活した社会学者、1年余の記録』武田 砂鉄による書評
- 世界各国のひきこもりとの対話。閉じた空間で語られる、開かれた言葉とは―ぼそっと池井多『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』武田 砂鉄による書評
- これほど考え込まされる問題提起にめぐりあうのは、めったにないこと―ロバート・D. ヘア『診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち』猪瀬 直樹による書評
- ニュースをつくる人たちは「ぼくらを描くことなどできない」。政治から排除される最下層の現実―ダレン・マクガーヴェイ『ポバティー・サファリ イギリス最下層の怒り』武田 砂鉄による書評