【ラグビーコラム】そうだ、菅平に行こう。(多羅正崇)
とても暑い。 7月7日、静岡で今年初めて気温40度を記録した。その日テレビでアナウンサーが「不要不急の外出は控えてください」と伝えていた。関東でも両脇にプロップがいるような蒸し暑さが連日続いている。 こんなときは酷暑の日本を抜けだし、別の国の避暑地で過ごすのが一番だろう。 筆者にとっての「別の国の避暑地」とは、毎夏ラグビー人のために建国されるユートピア「菅平」だ。 イタリアの中にキリスト教カトリックの総本山、世界一小さい国「バチカン市国」があるように、日本の中にスポーツ合宿の聖域「菅平」がある。「聖地」「観光地」という点もバチカン市国との共通点だ。 入国にパスポートの提示が求められない点もバチカン市国と同じだ。ただ菅平の場合、プレイヤーは郵便局のあたりで理性を預ける必要がある。よって菅平内のプレイヤーはまともな思考力を失っており、そのためコンビニで働いている店員さんを「自分に気がある」と思い込んだり、ショップで「二度と来るもんか」とプリントされたTシャツを買っておいて、翌年にまた来たりする。 多くの人にとって不愉快な事実かもしれないが、初めて菅平で1931年にラグビー合宿を行ったのは筆者の母校法政大学だ。以降に早稲田大学などが合宿を行っており、「進取」早稲田に法政が先んじた稀有な例になっている。現在は標高1300㍍超の麗らかな高地に100面以上のグラウンドが広がる。8月の最高気温はおよそ25度(2020年までの30年の統計)。ここで甲子園をやればいいのにという涼しさで、スイスを思わせる気候から「日本のダボス」(スイスの山麓リゾート地)と呼ばれている。 山奥にあるバカでかい何かといえば新興宗教施設で、何も知らずに迷い込んだカップルなどは、もしかしたら不安を覚えるかもしれない。なにしろ歩く人はみな筋骨隆々だ。そして誰もが奇妙なメッセージTシャツを着ている。来ておきながら「二度と来るもんか」のTシャツを着ている。カップルは異様な光景に震えはじめる――。彼らはここに監禁されているのか? その問いに対する答えは「ノー」。プレイヤーは菅平に監禁されているわけではない。正解は軟禁(あまりきびしくない程度の監禁)だ。 筆者は高大7年間の軟禁先が菅平だった。7年分の菅平合宿で、筆者は何をしたのかをよく覚えていない。しかしそれこそが菅平合宿をしたことの証だと思っている。記憶が残るような夏合宿は夏合宿の風上にもおけない。 唯一感触としてハッキリ残っているのは、「すすぎが終わらない」という20年以上前の絶望感だ。心も体も疲れ切っているのに、先輩の洗濯物のすすぎが終わらない。深夜の洗濯場で、何もせず座っている時の空虚感、それに抗おうとする気力もないのに合宿はまだまだ続くという絶望感。そんな自分と対照的に、頭上で元気よく蛍光灯にぶつかりつづける虫…。 菅平で合宿をしたことのある筆者のような元プレイヤーは、何度でも菅平に上りたくなる。 シャバとしての菅平を何度でも満喫したいからだ。 青春時代の自分がどこかにいそうな菅平を晴れやかな気持ちで歩く。「アンダーアーマー菅平サニアパーク」の芝生に座り、涼風に吹かれながら、現在進行形で洗濯機の取り合いをしている学生たちの試合を見る。これほど贅沢な刻(とき)があるだろうか。言うまでもなく、菅平は元プレイヤー、スポーツファンでなくとも満喫できる避暑地だ。根子岳・四阿山といった名峰でトレッキングも楽しめる。 今年(2024年)アンダーアーマーの日本総代理店であるドームが、菅平の「サニアパーク菅平」と「菅平高原アリーナ」のネーミングライツを取得した。男子15人制日本代表の10年ぶりの合宿もあった。 最高気温25度なら不要不急の外出もできる。新しいニュースもある菅平に、今こそ登りたい。 【筆者プロフィール】 多羅正崇(たら・まさたか) 1980年生まれ。神奈川県出身。法政二高、法政大学でラグビー部に所属。大学卒業後にテレビ・ラジオの放送作家としてバラエティ番組の制作に携わる。現在はスポーツジャーナリストとして主にラグビー記事・コラムを『ラグビーマガジン』『JSPORTS』「Number』等に寄稿。エッセイストとしても活動し、ラグビー漫画『インビンシブル』(講談社)の単行本巻末コラムを担当した。