落合博満「クビになったら飲食店でもやろう」じつは“野心がなかった”プロ入り当時…なぜ3度も三冠王に?「歴史に名前を残す」オレ流の有言実行伝説
メディアにも、選手にも。普段は多くを語らない。しかし、一度口にした目標は確実に達成してきた。三冠王も、リーグ優勝も。ライバルの能力と自身の状況を冷静に分析・シミュレーションし、目標を現実にしてしまう方法論とは。「Sports Graphic Number」1092号に掲載された「三冠王の言葉学 落合博満『オレ流・有言実行伝説』」を無料で公開します。(全2回の1回目/年齢、肩書などはすべて掲載当時) 【写真】「若き日の落合博満と信子夫人が豪邸の前で…」当時1億5000万円と報じられた落合邸、見たことある?「現役時代のエグいスイング」「長嶋茂雄との猛練習」など貴重写真を一気に見る(20枚超)
プロ入り時の本音は「これで元プロ野球選手になれる」
現役時代は「三冠王を獲る」。 監督としては「優勝する」。 落合博満は常に目標を公言した上で達成してきた。だが、はじめから「有言実行の男」だったわけではない。 落合はこう言っている。 「プロ入りした時の本音は、『これで元プロ野球選手になれる』。簡単には大成できないから、クビになったら契約金を元手に飲食店でもやろうと考えていた。元プロ野球選手の店なら、評判になると思ったから」 そんな選手を本気にさせたのは山内一弘だ。落合の入団時からロッテの監督を務めた山内は、1981年に落合が首位打者を争った際、自身の経験を踏まえてサポートした。この年、落合と競っていたのは日本ハムの島田誠と西武の新人・石毛宏典という、いずれもタイトル未経験者。三者の心身の疲れがピークになる終盤、山内は落合を2試合欠場させる。 「私は首位打者よりもレギュラーになりたかったから、1試合も休みたくなかった。けれど、山内さんは『タイトルのチャンスは絶対に逃すな』と休ませ、その間に島田も石毛も打率を落とし、首位打者を獲ることができた。それが翌年の三冠王につながった時、タイトルが選手を育てることを理解し、狙うべきだと考えるようになった」 '83年も首位打者を手にしたが、'84年は阪急のブーマー・ウェルズが三冠王に輝き、しかも阪急はリーグ優勝を果たす。落合にとってはこれがどうにも我慢ならなかった。 「ブーマーに3つとも奪われた時、無冠がとても気分の悪いものだと知った」
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