欧米銃器愛好家から「グランパ」と呼ばれる日本初の国産自動拳銃【南部式大型自動拳銃(甲)】
かつて一国の軍事力の規模を示す単位として「小銃〇万挺」という言葉が用いられたように、拳銃、小銃、機関銃といった基本的な小火器を国産で賄えるかどうかが、その国が一流国であるか否かの指標でもあった。ゆえに明治維新以降、欧米列強に「追いつけ追い越せ」を目指していた日本は、これら小火器の完全な国産化に力を注いだのだった。 19世紀末の日本の銃器設計界の「巨匠」のひとりに、南部麒次郎(なんぶきじろう)がいた。彼は当時、欧米で実用化が図られたばかりの自動拳銃に着目し、その国産化を目指す。 世界初の実用自動拳銃は、1893年に世に出たボーチャードピストルといわれ、1896年にこれに続いたのが、モーゼル・ミリタリーの通称で知られるモーゼルC96だった。また、アメリカでは1900年に、コルトM1900が同国初の自動拳銃として発売されている。 このような状況下、南部式大型自動拳銃は、ボーチャードピストルから発展した初期のルガーの外観に、C96のメカニズムを組み込んだような銃として誕生した。しかし時代的に考えて、これは自動拳銃の設計に際して当時の銃器設計者が辿り着く外観と構造と評することができ、南部は意識的に模倣したわけではなく、理想を追求した結果として、類似した外観とメカニズムになったとみるのが妥当だろう。 南部式大型自動拳銃(甲)は、1904年には増加試作的な生産が始まり、日露戦争にも投入されて実戦評価がおこなわれたという。そして1908年に「41式自動拳銃」の仮称で陸軍の審査を受けた。しかし時の陸軍大臣寺内正毅(てらうちまさたけ)は、補助兵器にしかすぎない拳銃にしては高コストなうえ複雑な構造のため、制式化を認めなかった。 それでも、官用のほかに中国やタイへの輸出用として細々と生産がおこなわれている。 南部式大型自動拳銃(甲)では、当時のルガーの一部やC96と同じく、ホルスターをグリップに接続してショルダーストックにすることができ、射撃時の安定性を向上させて命中精度をあげる工夫が施されていた。 使用する弾薬は、ルガー用に開発された7.65mmパラベラム弾やC96用に開発された7.63mmモーゼル弾のように首が絞り込まれたボトルネック型の薬莢(やっきょう)を持つ、本銃のために開発された8mm南部弾(標準弾は242ft.lbf)である。同弾は、のちに日本軍の制式拳銃弾として太平洋戦争終結まで用いられるが、威力面では、外観的にも寸法的にも酷似する7.65mmパラベラム弾( 標準弾は304ft.lbf)や7.63mmモーゼル弾( 標準弾は375ft.lbf)に比べて、ワンランク下だった。 1924年、南部式大型自動拳銃(甲)に改修を施した南部式大型自動拳銃(乙)が、海軍陸戦隊に「陸式拳銃」として採用された。海軍が陸式拳銃と呼んだのは開発が陸軍主導でおこなわれたからだが、制式化しなかった当の陸軍は、海軍が採用したことから、南部式大型自動拳銃(乙)を「海軍拳銃」と呼んだという面白い逸話もある。
白石 光