山本昌が語る、福留日米通算2000安打の理由 「彼は納得していない」
阪神の福留孝介外野手(39)が25日、マツダスタジアムで行われた広島戦で2本のヒットを記録して日米通算2000安打を達成した。残り2本でこの試合を迎えていた福留は、4回二死から広島の先発、岡田の変化球をうまくバットに乗せてライト線にツーベースを放ち、王手をかけると、続く第3打席、6回二死二塁からセカンドの右を襲う強烈なゴロ。名手、菊池が体を張って止めたがボールを弾き、この内野安打が、記念すべき日米通算2000本目となった。福留は一塁ベース上で、元チームメイトの広島の新井から記念の花束、鳥谷から記念のボードを受け取って大きな歓声に応えた。福留は中日、阪神でプレーした13年で1502本、メジャーでプレーした5年で498本のヒットを放っていた。 試合後、公式会見に臨んだ福留は、「ほっとしている。プロに入って打てるかどうかもわからなかったが、初めてのヒットを打って今日を迎えられた。ここまで野球を続けられたことが第一。周りの方々へ感謝したい。(2000本は)凄い数字なんだと思う。ただそれだけ」と、達観したような笑顔で語った。 そして「苦しい時もあったが、この数字を達成するにあたっての糧だったのかな。苦しい時もいい思い出」という本音も明かした。 福留はPL学園卒業時の1995年のドラフトで、近鉄、巨人、中日、ヤクルト、日本ハム、ロッテ、オリックスの7球団に1位指名されたが、近鉄の佐々木恭介監督が1位クジを引いたため入団を拒否した。ドラフト前から「巨人、中日以外は社会人」と公言していたもので、日本生命に進み、1998年に逆指名で中日に入団。中日には9年間在籍したが、この間、共にプレーしたのが、“レジェンド”左腕の山本昌氏だ。 「頼りになる男だった。私が投げる試合で本当によく打ってくれた。孝介には、助けられたという記憶しかない。ショートをやっているときは、よく守備で足を引っ張られたが(笑)、外野へ転向してからは、打てないゲームでも守備で貢献してくれた。転向には、相当の努力があったのだと思う。外野手としての守備範囲や、センス、肩も含めて、日本一の守備力だった」 福留は2002年から山田久志監督が就任すると、外野へ本格転向。そして、このシーズンから元近鉄監督だった佐々木氏と運命的な再会をして打撃指導を受け、開眼することになる。 「メジャーに移籍後、阪神に帰ってきたときに対戦の可能性があったが、私が投げる試合には、故障があったりして出てきていなかった。左投手に弱い時期もあったが、それも克服して非常にウイークポイントの少ないバッター。味方につけると頼もしく思えるのだから、相手のバッテリーからすると嫌なバッターだと思う。 そして、配球の読みがいい。長打があり、ツボに入るとホームランがある。反対方向にも打てる。バッティングの技術は、球界トップの部類に入るバッターだろう。しかも、若い頃は足も速かった(笑)。出塁させても、厄介な選手だった」 2002年に打率.343で首位打者を獲得、松井秀喜(巨人)の三冠王をストップすると2006年にも打率.351で2度目のタイトル。また2003年、2005年、2006年と3度、最高出塁率のタイトルを奪うなど、選球眼の良さも際立った。