「乳がんの入院中、本当はどう思ってた?」早発閉経・乳がん発覚した女性が夫と作った「モヤモヤを棚卸しする」習慣
── 太田さんとしては、子どもが欲しいという気持ちに、折り合いはついたのでしょうか。 太田さん:実は、不妊治療中、里親も選択肢に入れて、いろいろと情報取集をしていたんです。でも、がんになったことで、この先、自分の身に何かあったら、夫がいろんなことをひとりで抱えて苦労するかもしれないと思い、子どもを持つという選択肢は諦めました。 そこから、自分は子どもを持てないけれど、子育てに参画する形ってほかにもあるのでは?と考えるようになったんです。2年前から教育事業に振りきり、子ども向けプログラミングスクールの運営に注力しているのもそうした思いからですね。もともと教員になりたかったこともあって、教育には昔から関心がありました。
■こんなに世の中が変化してるのに、学校は20年間、ほとんど変わっていない ── 別のカタチで子育てに参画したいという思いから、起ち上げられた事業なのですか? 太田さん:いえ、もともとは自分の意思ではなく、役員として携わっていたITベンチャーで、プログラミングスクール事業部に異動になったことがきっかけでした。しかも当時、早発閉経で不妊治療していることを社内で公にしていたので「子どもができずに苦しんでいるのに、このタイミングで、この異動?」とモヤモヤしました。しかも、うちの会社の代表は7人の子持ち。いったいどういうつもりで異動を命じたのか、理解に苦しみました。もちろん他意はなく、軌道に乗っていない事業のテコ入れだったのですが…。
── でも、たしかに複雑な心境になりそうですね。 太田さん:最初はあまり乗り気ではありませんでしたね。ただ、私が生きるうえで大切にしている「キャリアのドアにはドアノブがない」という教えに従って飛び込むことにしたんです。いくら自分が「この仕事をやりたい」と手を上げても、人から望まれない限り、目指すキャリアは積んでいけない。だから、誰かが向こうから扉を開けてくれたら、ためらわずに飛び込んでチャンスを逃さないという考え方です。ですが、不妊治療がうまくいかないなかで、扉をあけられても、飛び込むのに少し勇気が必要でしたね。