【光る君へ】ぞろぞろ登場する道長の子女たちは 露骨なほど明確に序列化されていた
あまりに違う女子のあつかい
前述したとおり、倫子が産んだ長女の彰子は一条天皇の中宮に、次女の妍子は三条天皇の中宮になったが、それだけではない。3番目(道長の四女)の威子は後一条天皇の中宮になった。4番目(道長の六女)の嬉子は中宮にはなっていないが、それは入内した東宮がご朱雀天皇として即位する前に、嬉子が死去したから。要するに、道長は倫子が産んだ女子全員を、天皇か東宮のもとに入内させたのである。 では、明子所生の女子はどうだったか。三女の寛子は三条天皇の第一皇子、敦明親王の女御になったものの、その時点で親王は即位への道が断たれていた。五女の尊子は源師房のもとに嫁いだ。師房は村上天皇の第七皇子であった具平親王の子で、臣籍降下しているとはいえ天皇の孫ではある。だが、倫子の娘が4人とも天皇や東宮に嫁いだのとは、あまりに違う。 「光る君へ」では子供たちの待遇をめぐって、明子がいつも道長を責める。当時の貴族社会では、母親の出自による序列化は当然で、子孫のあいだで無用な争いが起きるのを避けるためにも、序列化は必要だった。とはいえ、明子が、そしてその子供たちが不満をいだいたのも当然だろう。 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 デイリー新潮編集部
新潮社