大谷翔平の活躍に考える「時代と性格」 僕らはそれぞれの惑星からやってきた?
「本当はいい人」から「見るからにいい人」へ
たとえば三原脩、川上哲治、野村克也といった昔の野球人は、選手としても監督としても一流であったが、いわゆるいい人ではなかった。むしろ敵にまわしたくない怖さのあるキャラクターだった。独自の信念と努力によって才能に磨きをかけてきた人で、子供のころは単純な巨人ファンだった僕も、年とともに、そういう人に魅力を感じるようになった。 頭脳戦の勝負師を考えてみよう。たとえば将棋の升田幸三や、囲碁の藤沢秀行などは、ここに書くのもはばかられるほど破天荒な性格と行動で知られていた。しかし今の棋士は、羽生善治も藤井聡太も、井山裕太も一力遼も、見るからにいい人、もしくは良識ある普通の人である。 作家や美術家も、昔は変人が多かった。夏目漱石も、永井荷風も、谷崎潤一郎も、芥川龍之介も、川端康成も、三島由紀夫も、かなり特異な性格で、後者3人は自死している。棟方志功も、岡本太郎も、一癖も二癖もある人物だ。しかし今は、作家も美術家も、みんな常識のあるいい人になっている。 昔の勝負師や芸術家や、あるいは豊田佐吉や本田宗一郎といった技術者でさえ、それぞれに独特のこだわりをもっていて、一般の人からは、少し怖いと思われることが多かったが、心は純粋で「本当はいい人」といわれたものだ。しかし今は「見るからにいい人」の時代である。 この変化は何を意味しているのか。日本人の性格が変わったのだろうか。
「制度激変」の時代から「制度過剰」の時代へ
一つには、時代のせいだろう。 昭和とは、「未曾有の」といっていいほど「激しい時代」であった。 関東大震災以後、メトロポリス東京に鉄筋コンクリートの大規模建築が建ち並び都市型の資本主義が進行したが、それは世界的な不況と農村の疲弊に並行する現象であった。その矛盾が血盟団事件、5・15事件、2・26事件などの事件となり、軍部独走とファシズムの道を歩み、満州事変から太平洋戦争へと向かった。 そして本土空襲、沖縄戦、原爆投下のあとの無条件降伏。外国に全面占領されたのであるから、日本の歴史はじまって以来の大敗北であった。戦後は一転、焼跡闇市の時代から、ストと赤旗の時代を経て、安保闘争、高度成長、バブル経済へと突き進む。軍事の時代から経済の時代へ、社会の制度が激しく変化した。 このような「制度激変」の時代、ひとつの社会を律する人間の価値観として、表面的な礼節より、現実を生き抜く力と並外れた才能が重視されるのは当然であろう。戦争では勝たねばならず、経済では稼がねばならず、礼節を超えた実力が必要であったのだ。 平成そして令和は、昭和と比較すれば穏やかな時代である。経済力は凋落の一途であるが、人々の暮らしは、豊かとはいえないまでも比較的穏健に進んでいる。そして日本の社会制度が過剰なほどに複雑化している。 技術屋だけでなく、金融関係や中央官庁にいた友人が集まったとき「今の社会制度は複雑すぎてよく分からなくなってきた。何にでもポイントというものがあって売る方も買う方も手間が増えている。補助金や還付金が多くて、申請が複雑で一部の人だけが得をする。本当に必要なのかと思われる制度が多くつくられすぎている」という話が出た。まあ、年寄りにありがちな会話だが、要は「制度過剰」ということである。 僕の専門の建築にかかわる法規制を見ても、複雑で細かい規制が張り巡らされ、省庁が争うように資格制度をつくっている。海外の建築家やゼネコンからは「日本の建築法規の複雑さは非関税障壁」だと指摘されているのだ。 このような「制度過剰」の時代に、人々は、大きな志をもって社会に挑戦するより、細かいことに気を配って損をしないように心がけるものだ。闘う人の時代ではなく管理する人の時代であり、主張する人の時代ではなく同調する人の時代である。しかしながら、人間の心はそうは変わらない。必ずしも善人とはいいにくい部分があって、どこかにはけ口を求めるのではないか。