瀬戸内で見つけた自分の居場所。島の人の暮らしを守り、未来へつなげることがミッション
【この人に聞きました】いえしまコンシェルジュ 代表 中西和也さん
都会暮らしには子供の頃から違和感を覚えていた。大学で建築を学んだ後、会社勤めに背を向けたのも、利益至上主義に反発したからだ。自分の居場所はどこか別にあるはず。中西和也さん(39)が「いえしまコンシェルジュ養成講座」の募集に応じたのは進むべき道が見えず、故郷の大阪で悶々としていた頃のことだった。 播磨灘に浮かぶ家島は約5.5㎢の小さな島だ。古くから採石と漁業、海運業で栄えてきたが、住民は2100人、最盛期の3分の1にまで減り、養成講座は、外の人の目で島を元気にしてもらおうというプロジェクトの一つだった。 兵庫・姫路港から船で30分、中西さんが初めて島を訪れると、彼が抱いていた瀬戸内海の離島のイメージはあっという間に覆されてしまった。明るく、パワフルなおばちゃんたちがそこにいたのだ。港には大きな船が停泊し、猫が昼寝する路地裏は下町のようだ。新鮮な海の幸を扱う居酒屋や魚屋さん、おいしいパン屋さんもある。駄菓子も売る本屋さんからは子供の声が聞こえてきた。何よりも、世話好きな店のおばちゃんたちが「島の最大の魅力」だった。彼女たちに励まされ、2011年4月、26歳の中西さんは移住を決断した。
コンシェルジュは多忙だ。おばちゃんとタッグを組んだ特産品やおみやげの開発、島グルメなどのイベント企画、移住サポート、年間500人を案内する観光ガイドの目玉は路地裏歩きと地元の人との交流だ。リピーターも増え、空き家を一棟貸しのテラスハウスに生まれ変わらせ、カフェもオープンさせた。 今もお金儲けには関心がない。しかし、コンシェルジュの会社を起業して、少し考えが変わったという。移住した社員のためにも利益を上げ、会社を持続することが大切だ、と思えるようになったのだ。島の人の暮らしを守り、未来へつなげる。「その責任が私にはある」と言う。10年が過ぎ、この先に続く道が見えてきた。迷いはもうない。 文・三沢明彦 ※「旅行読売」2024年7月号より