附属池田小事件被害者の母が「最後に68歩分歩いた娘」への慟哭を経て「日々の小さな悲しみへの寄り添い」に至るまで
「グリーフケア」という言葉に注目が集まります。グリーフとは端的に言えば「悲嘆」、多死時代の別れとその悲しみに寄り添う動きを指します。 【画像】悲嘆を抱え、向き合う人々に迫る ……と、メディアではこのように「死別の悲嘆」と説明されがちなグリーフケアですが、「悲嘆に大小はないのだと思います。ただその人の悲しみをそのまま受け止め、寄り添おうと見つめる姿勢こそが大事なのではないかと思います」と語るのは「グリーフパートナー歩み」代表の本郷由美子さん。 2001年6月に起きた大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件で当時2年生の優希さんを失った遺族でもある本郷さんですが、「たまたま私がその経験を経てボランティアなど現在の活動を行っているということであり、グリーフケアとは『悲劇的な別れ』があった人だけのものだとは捉えないでほしいのです」と続けます。 とはいえ、本郷さんのご体験は記事『附属池田小学校児童殺傷事件「長机に横たわり動かない子どもの姿が見えました」かなしみとともに生きるということ』の通り、苛烈としか表現のしようのない日々でした。その日々を経てなお「大きな悲劇だけにフォーカスしないでほしい」と語る、その思いを伺いました。
「悲嘆に多寡はないのだと思います」。すべての悲しみに寄り添っていきたいと考える理由は
この取材は12月1日全国公開されるドキュメンタリー映画『グリーフケアの時代に』に関連して行われました。12月1日・2日の東京をはじめ大阪・京都での同作舞台挨拶にも登壇予定の本郷さんは、作中でご自身の体験、また長年ボランティアで手掛け続けているグリーフケア活動について語っています。同作の中村監督から映画出演の打診があったとき、どうお感じになったのでしょうか? 「グリーフケア活動をしている人たちがたくさんいらっしゃる中、私にご連絡いただいたことに驚きました。これからグリーフケアが必要になっていくという中村監督のお話を聞いて、私に何かお手伝いができるのならと出演を決意しました」 作中では主に死別、病気、災害などのいわば「大きなグリーフ」について触れた本郷さんですが、日ごろの活動はそれに限らないそうです。 「悲嘆というと死別の大きな悲しみと捉えがちですが、私の活動は死別に特化していません。むしろ、日常にあるさまざまな、何気ない悲しみに寄り添うことが大切だとこの20年の活動で感じています。ですから、私たちの活動で寄り添う対象は悲しみを抱えている人すべて。むしろ『外から見えにくい悲嘆』にこそ寄り添っていきたいのです」 たとえば事件事故に子どもが巻き込まれて亡くなると、その報に触れたすべての人が傷つきます。 「このようなグリーフをこの世から完全になくすすことはできないけれど、さまざまな悲しみを支えていくことで『悲しみに疲弊して人を傷つける人』減らしていくことができる、結果的に1人でも傷つく人を減らせるのではないかと感じています」 そう考えるのも、自身が事件遺族だという経緯があってのことかもしれません、と本郷さん。どのような背景でその思いに至ったのでしょうか。