物語を作ることに僕自身が救われている――劇団ひとりが語る、お笑い、開会式、家族、そして小説
小説を書くために物語を紡ぐことには、他に代えがたい魅力があるのだと語る。 「最終的には読者を気にするんだけど、一番最初に書いてるときは、あんまり読者のことを気にしていなくて、やっぱり自分のために書いてる意識が強いんですよね。この物語に僕自身が救われてるような気がするんで。物語を作っているときの感覚っていうのは、ほかの生活、仕事を含め、味わえないですね。それの代わりになるものがないんですよね、困ったことにね。代わりになるものがあったら、もうちょっと楽できるんですけど」 『浅草ルンタッタ』の登場人物たちは、劇団ひとりにとって理想の人間像だ。 「世の中のいろんなニュースを見てると、人間というものにすごく落胆しちゃうときもあるんですよね。だけど、物語を書いているときって、僕は人間にすごく希望を持って向かっているんですよね」
クリエーターは自転車操業、でもコケられない
この日の取材は、テレビの収録後に楽屋で行われた。取材の後には、また番組の打ち合わせが待っている。多忙を極める日々のなかで、劇団ひとりは、芸人、小説家や映画監督といったクリエーター、そして家庭人として、どうバランスをとっているのだろう。 「僕自身はこれがいいバランスなんだろうなと思ってるんです。例えば、今、家庭がなくて、お笑いの仕事がなくて、こういうクリエーティブなことだけをやってたとしたら、僕はおそらく、精神的にまいっちゃってるような気がしますね。ひとつのことだけをずっと考え過ぎちゃうと、もう訳わかんなくなって、潰れちゃってるんじゃないかなって。僕は、自分の人生はビュッフェみたいなもんだと思っていて。自分がそのとき食べたいものをちょこっとずつお皿に盛っていくのが性に合ってるんですよね」 そして、今はクリエーターとして恵まれていると自覚し、必死にやるしかないと腹をくくる。 「映画の監督をやりたい人って、山ほどいるんですよね。僕はありがたいことに、まず名前があるんですよね。で、こうやって小説も出させていただける。今、自分が置かれている環境っていうのは、かなり恵まれてるっていうか、なかなかできないですよ。だから、機会をもらえる間は、どんなにしんどくてもやらないと、あとあと後悔するなって。だから、これは勝負ですよね。コケらんない。もう自転車操業ですよね。ひとつどうにか評価を得たら、また次につながるみたいなね。この先、二つも三つも決まってるような仕事じゃないですからね」 劇団ひとりは、これまで自分は人気がないと語ってきた。彼が認めるファンは、日本全国にわずか5人のみ。それはある時期にファンレターを送ってくれたファンだという。しかし、そもそも人気が欲しいとも思わなくなってきたというのだ。 「正直言うと、もうさすがにこの年になって、このキャリアになってくると、あんまり人気うんぬんということに対してのモチベーションはなくって。若い頃は、横のライバルたちに比べて人気があるかどうかっていうのは、すごく気になったけど、もうさすがになくて。今は僕よりも、僕が作った作品のファンのほうが欲しいんです。もっと言えば、僕が作ったものを、別にあれもこれも見てほしいとは思わなくて。『<浅草キッド>がすごく好きで、数年に一回、見返すんです』っていう人がいれば、それだけで十分ですね」 心血を注いだ『浅草ルンタッタ』を3人の子どもたちには読んでほしいかと聞くと、劇団ひとりはすっと父親の顔になった。 「別に読めとは言わないけど、何かあったときに、この本が何か一個でもあの子たちの支えになってくれたら、こんなありがたいことはないですよね。まあ、別に子どもたちに限らないけどね。この本を読んで、誰かの何かになってくれたらいいな、とは思うんですよね。そうじゃないと、やっぱりやる意味がないかなって思います」 今後の小説の執筆予定について聞くと、すでに書きだしているものがあるというのだ。映画監督、脚本家としての劇団ひとりが顔をのぞかせる。 「『浅草ルンタッタ』を映画化したいなと思ってるんで、今はその脚本を勝手に書いてる状態で。もう最悪、僕が撮れなくてもいいから、ほかの誰かやってくれ、ぐらいのつもりで書いてるんです。『浅草キッド』も別に誰に頼まれたわけじゃなくて、勝手に脚本を書きはじめたところから始まってるんですよね。『できることはやる』っていうのが僕のモットーなので、書いて無駄になってもいいんで脚本を書いてますね」
劇団ひとり(げきだんひとり) 1977年、千葉県出身。航空会社勤務の両親のもと、小学2年生から5年生までをアラスカで過ごす。帰国後、高校時代から芸人を目指してテレビにも出演。コンビでの活動を経て、2000年からピン芸人として活動。泣き芸を筆頭とする特異な芸風で高い人気を得る一方、2006年には『陰日向に咲く』で小説家デビュー。2014年には、自らの小説『青天の霹靂』で脚本を執筆、映画監督としてデビューする。2022年には「24時間テレビ45」スペシャルドラマ『無言館』(日本テレビ系)の監督・脚本も務めた。 (取材・文:宗像明将)