物語を作ることに僕自身が救われている――劇団ひとりが語る、お笑い、開会式、家族、そして小説
うちの家族は僕に興味がまったくない
そんな時代の変化への配慮もしつつ、無事に出演できた開会式だったが、守秘義務のために、その晴れの舞台を家族に伝えることはできなかった。妻である大沢あかねは子どもたちを寝かしつけていたので、翌朝に「なんで劇団ひとり使うの?」と言われたという。 「僕の家族、開会式の僕の姿を誰も見てないです。終わっちゃったから見る術がないって言って。うちの家族は興味ないんですよね、僕のことに。この前ドラマ(劇団ひとりが監督・脚本を務めた『無言館』)も、娘はもう10分で見るのやめちゃったし」 さすがに子どもたちに自分に興味を持ってほしくないかと聞くと、「全然ないです」と即答する。子育て術について聞くと、「あんまりないけど」と言いつつも、2女1男の子どもたちへの思いが滲み出した。
「僕は単純に、なるべくいっぱい遊んであげる。うちの奥さんがすごい厳しいんでね、僕はあんまり怒らないですね、ずるい役割だけど。僕は勉強とかも全然こだわらないし、部屋の片付けも別にこだわらない。『人生楽しいな』って思ってもらえれば、それでいいんで。僕が一緒にいるときは、なるべく楽しい時間であってほしいなと思ってるんです」 そうした子どもたちへの思いは、劇団ひとりが書く小説や、監督や脚本を務める映画にも表れているという。 「やっぱり親子関係を描いてるっていうのは、自分が父親になったから、そういう意識があるんだろうなとは思います。だから僕は、本を書いたときや、映画を撮ったときは、『これが残ってくれてよかったな』と思います。僕に何かあったとしても、作品を通じて、僕が伝えたいことは残っていくと思っているんでね。だから、そういう意味で言うと、遺書代わりにもなってるんだなあという感じはしますね」
物語を書くとき、僕は人間に希望を持っている
劇団ひとりにとっては、遺書代わりにもなっているという小説。その最新作が、『浅草ルンタッタ』(幻冬舎)だ。130万部を超えるベストセラーになった2006年のデビュー作『陰日向に咲く』(同)、2010年の『青天の霹靂』(同)に続く3作目の小説だ。 その舞台は浅草。2021年、劇団ひとりが監督・脚本を務め、ビートたけしの自伝を映画化した『浅草キッド』(Netflix)も大きな話題を呼んだが、その舞台同様、『浅草ルンタッタ』の舞台も浅草だ。浅草の何がそこまで劇団ひとりを惹きつけるのだろう。 「すごく熱気があって、人間っぽい町ですよね、何か色があってね。だから好きなんですよね。歓楽街でいろんなショービジネスがあって、そこでみんな日陰ながらも夢を見て頑張ってるわけじゃないですか」 その浅草に魅了された劇団ひとりが出会ったのが、かつて栄えた浅草オペラ。かくして『浅草ルンタッタ』は、明治の終わりから大正にかけての浅草を舞台にした作品となった。ゆうに100年前の世界を描くため、劇団ひとりは資料を集めて読み漁る日々が続いた。それをもとに、劇団ひとりはこれまでにないほど想像力を膨らませていった。 「とにかく、その時代、その浅草の町を想像するしかないですよね。僕は、この小説の世界の中に入って、目撃者となって、それを文字に起こしただけっていう感覚で。想像力の中で、その世界を頭の中にちゃんと作り上げることができたんです。やっと自由に物語を書けるようになったなっていう感じがしました」