妻に先立たれ「自由だ!」「天国だ!」と全くならず…「なんでもない日常ばかり思い出されて仕方ない。あれが幸せだと今になって気づいた」
◆私が先に逝くはずだったのに 私よりも先に妻は死んでしまった。 私が先に逝くはずだったのに、現実は逆だった。 そして、妻が先に死んだからといって、冒頭に書いたようにはならなかった。 なぜならなかったのだ? 自由を手に入れ、ひとり暮らしを満喫し、新しい彼女でもつくって、優雅に海外にでも遊びにいけばいい。なぜそうしない。 現実は、未だ喪失(そうしつ)感に苛(さいな)まれ、ただ無為(むい)に4年の時を過ごしただけ。 LINEに友人からメールが来ても、既読スルー。キャバクラのお姉ちゃんはブロックした。五十肩でお姫様抱っこなんか到底無理! ひとりでは焼肉屋にすら入れない。 パーティーどころか、今日もせっせと自炊して、ひとりで侘びしく「金麦」を飲むだけ。それが現実だ。
◆情けないのは男 『婦人公論』(中央公論新社)という雑誌に「読者体験手記」というコーナーがある。 そのコーナーで、76歳の女性の手記が掲載されていた。 その手記のタイトルは、 「夫が先に逝ったなら、やっと私の人生がきたと叫びたい」。 その手記がたいへん面白かった。 夫が先に死んだ場合と妻が先に死んだ場合とでは、こうも違うものなのかと正直驚いた。 あまりにも自分の場合とは違う。それで冒頭のようなことを書いてみたのだ。 妻は夫の死後、自分の人生を楽しむべくいきいきと暮らしていくけど、しかし妻に先立たれた夫はそうはいかない。そのいいサンプルが私だ。 つくづく男はダメな生き物だと、あらためて思う。 夫婦だって人間だ。 たまには「死んでしまえ」と思うこともあるだろう。しかし、死んでしまってはもう喧嘩もできない。 たとえどんな夫婦だろうが、長年一緒に人生を歩いてきたパートナーが死ぬということは、言葉にできないほどの喪失感であり、耐え難いものだ。 この記事を読んでいるあなたに、今気づいてほしい。 あなたの夫が、あるいは妻が、恋人が、もしも元気で生きてくれているなら、あなたはそれだけで幸せ者だということを。 しかし、そのことになかなか気づけないのも人間ではあるが……。 今日も夫婦で一緒に飯が食える。 ひとり残されると、そんななんでもない日常のことばかりが思い出されて仕方がない。あれが幸せだったんだと、死なれてから気づく。 いつかあなたもそう思う日がきっとくる。だから今は、お互いを大切にしてほしい。 そして、ふたりで「退屈だね」と言いながら、長い老後を過ごしてほしい。 ※本稿は、『妻より長生きしてしまいまして。金はないが暇はある、老人ひとり愉快に暮らす』(大和書房)の一部を再編集したものです。
ぺこりーの
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