まちづくりに取り組む建築家が実践する、「自分の街は、自ら住みやすく変えていく」暮らし方 ニシイケバレイ/CaD 東京都豊島区・新宿区
池袋駅西口から大通りを歩くことおよそ10分。高層ビルが建ち並ぶ都道から1本逸れた裏道に、木造の平屋やアパートをリノベーションしたカフェや和食店、シェアスペースが連なるエリアがあります。「ニシイケバレイ」と名付けられたこの複合エリアは、再開発の進む都心にありながら風情の残るスポットとして人気を集めています。まちづくりの観点からも注目されるニシイケバレイはどのようにつくられたのでしょうか。リノベーションの設計を手掛けた建築家の須藤剛(すどう・つよし)さんにお話を伺いました。
ばらばらな建物をつなぎ、顔の見える関係を築く
ニシイケバレイは、この地で17代続く大家の深野弘之(ふかの・ひろゆき)さん一家が所有していた複数の物件を、段階的に改修していったもの。都道沿いに建つ14階建ての集合住宅(MFビル)とその裏側にある4階建てのマンション(コーポ紫雲)に合わせておよそ100世帯が入居しています。深野さんもエリアの中央に位置する築70年を越える木造の平屋住宅にかつては居住していました。
空室が出たところから段階的に改修が進められ、現在のニシイケバレイができていきました。はじめに深野さんが自ら経営に携わっている、平屋住宅を改修したカフェ(Chanoma)、続いて2階建ての木造アパート白百合荘の1階を飲食店(syokutaku)、2階をシェアキッチンとコワーキングスペース(attic)に、さらにコーポ紫雲の1階の一室を店舗兼住宅に改修し、器などを扱う店舗(FUURO)が入居する、といったかたちでその時々で状況を見ながら適切な用途を検討していきました。
1階にsyokutakuが入居する白百合荘(中央)とコーポ紫雲(左)。パーゴラに取り付く植物が両者をつなぐ。
豊島区のプレイヤーが集まる「としま会議」などを通じて大家という立場に可能性を感じていたという深野さん。ニシイケバレイと同規模の土地で行われていた兵庫県宝塚市のINNO TOWNでのまちづくりの事例を視察し共感したことなどをきっかけに、ニシイケバレイのプロジェクトをスタートさせました。ご家族でMFビルに引っ越し、空き家となった木造の平屋住宅のリノベーションに着手するため、須藤さんに声がかかります。