定年退職あれこれ/島田明宏
【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】 恥ずかしい告白をすると、私は、10年以上連載をつづけている月刊誌の〆切を忘れることがある。毎月20日が〆切なのだが、もちろん、20日が〆切だと忘れることはない。なのになぜ忘れるのかというと、その日が20日だと気づかないことがあるからだ。 数日前、仕事場のデジタル時計の日付けが「9月」になっていることに驚いて、思わず「えっ」と声が出た。8月末が〆切の原稿を少しずつ書いていたのだが、自分が何月何日を生きているのか忘れていたのだ。慌てて編集者にメールして、遅れていることを詫びた。すると、「じっくり書いてくださってありがとうございます」と丁寧な返信が来た。まったく嫌味のない文面だっただけに、余計に申し訳なくなった。 もともと健忘症がひどいので、薬をいつ飲んだのか、飲んでいないのかもわからなくなることが多い。なので、年寄りが使う、曜日と「あさ」「ひる」「よる」「寝る前」と書かれたピルケースを愛用しているのだが、それも置いた場所を忘れたり、買ったことを忘れたりして、今は4つほど手元にある。 なるほど、だから定年があるわけだ、と思わざるを得ないことが、自分に関して多くなっている。 このところ立てつづけに同級生が60歳の誕生日が来ると退職し、同じ勤務先で再雇用されたり、別の会社に移ったり、隠居生活を始めたりしている。 無所属の私に定年はないが、もし法律が変わって、国民はみな、60歳になったらそれまでの仕事を辞めなければならない、ということになったら私はどうするだろう。世代交代を促すため、前に書いた原稿の再掲載の使用料や、重版による印税などを除き、新たに何かを書いて収入を得たことがわかると罰則が科される……などということになると「世にも奇妙な物語」の世界だが、私から見ると、世の中の勤め人はみなそういう恐ろしいルールのもとで生きている。 終身雇用が当たり前の時代に就職した世代だから、ひとつの会社に長く勤めた同級生が多い。みんな、長い間お疲れさまでした。 さて、少し前に「18歳と81歳の違い」という短文集が話題になった。「恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳」「道路を爆走するのが18歳、逆走するのが81歳」「まだ何も知らない18歳、もう何も覚えていない81歳」といったものだ。初めて読んだときは大笑いしたし、今あらためて読み直しても笑ってしまった。 どうやらテレビ番組の「笑点」の大喜利が元ネタらしいのだが、これらはおそらく、18歳よりも、81歳に感覚が近い側から編み出されたものだろう。 同じように、「16歳と61歳の違い」で面白いものはないだろうか。そう思って、ネットで「16歳」「61歳」でキーワード検索をすると、札幌の大通公園で、スケートボードをする16歳少年の胸ぐらをつかんだ61歳の男が逮捕された、というニュースが出てきた。16歳と61歳が逆だったらニュースになるのもわかるのだが、何だかなあ、とシラケてしまった。 「17歳と71歳の違い」も同様に、あまり話題になったネタはない。 それはきっと、「61歳」にも「71歳」にも、「81歳」ほど、ほかの世代からかけ離れた、飛び抜けたインパクトがないからだ。普通に、ちょっと年齢を重ねただけの世代、といった受け取られ方なのだろう。 JRAの調教師の定年は70歳だ。厩舎を開業するときの平均的な年齢を考慮したうえで、世代の新陳代謝を促進するということではほどよい線引きなのかもしれないが、経営者としては早すぎると思う人たちが何人も思い浮かぶ。 来年2月には、音無秀孝調教師、河内洋調教師、再来年2月には、国枝栄調教師、西園正都調教師、佐々木晶三調教師らが定年を迎える。 定年のなかった時代、「大尾形」と呼ばれた尾形藤吉元調教師は89歳で亡くなった直後のセントライト記念(メジロティターン)が最後の勝利だった。 それは極端な例だとしても、何度か書いたように、定年に幅を持たせて、定年を遅らせる人はそのぶん退職金に相当する手当ての取りぶんを少なくするなど、制度を見直してもいい時期なのかもしれない。 いつも以上にとりとめのない話になってしまった。