米国で改めて感じた武豊騎手のすごさと歴史…そして取材できる喜び/三嶋まりえ奮闘記
【三嶋まりえ奮闘記・第3回】
レジェンド武豊騎手のすごさは、海外に来るとより一層ハッキリと分かる気がします。ヨーロッパでの取材でもアメリカの取材でも、〝ユタカ・タケ〟と言えば誰でも知っていて、その誰もが笑顔でうれしそうに武豊騎手について話してくれるのです。通信機器には明るくないでしょうから、おそらく頻繁に連絡を取っていたわけではないはず。でも、パッと表情が明るくなるくらい鮮明に、素晴らしい記憶として彼らの中に残っているのです。 先の記事で、サンデーサイレンスの主戦であるパット・ヴァレンズエラ元騎手との再会については記しましたが、カリフォルニアクロームやアメリカンファラオの主戦で、日本でも騎乗したことのあるヴィクター・エスピノーザ騎手との再会も目撃しました。武豊騎手に聞くと、他にもコーリー・ナカタニやラフィット・ピンカイなど多くの人たちとこのアメリカ遠征で会ったと言います。再会についてうれしそうに話す姿を見れば、西海岸で過ごした日々がどれほど充実したものか、ひしひしと感じられました。 それだけでなく、海外の競馬関係者や競馬ファンにサイン、握手、写真を求められる場面も。日本だけでなく、異国の地でも武豊騎手は憧れの存在なのです。 今回のブリーダーズCには、19頭もの日本馬が遠征しました。いまや海外遠征は当たり前のようになっていますが、その礎を築いたのは武豊騎手を筆頭とする先人たち。まだ海外へ出て行く人が少なかった時代、それも日本では圧倒的な成績を残しているときに、海外へ打って出たのですからすごいとしか言えません。先に出てきた再会した方々は、私の中では歴史上の人物。そんな方々と肩を並べる武豊騎手がいまだ現役なのもすごい。もはや驚きを通り越してしまいますよね。 「俺も〝いつかあの人すごいジョッキーだったんだよ〟って言われるようになるのかなあ」。その日はまだまだ先だと思いますが、今は第一人者の言葉が聞けることを感謝して、しっかりと取材したいと思います。
三嶋 まりえ