どんなテンションでやっていいかわからなくて――渡部建、東野幸治と振り返るこの2年
渡部:コミュニケーション術のことを考えたら、テレビの人気司会者はすべてを持ってるな、っていう結論に達したんですよ。だから今、東野さんは、どの企業に行っても、コミュニケーションとは何なのかっていう話ができると思います。 東野:万が一、テレビの仕事やめなあかんってなったときにも、講演会でそのテーマでしゃべれると。 渡部:(明石家)さんまさんもそうですけど、自分の話をしてないじゃないですか。とにかく初めて来たゲストにいかに気持ち良くしゃべらせるかじゃないですか。それが意外とみんなできないんです。 東野:そのテーマで講演会をやったの? 渡部:やっていて、それがすごく評判いいんですよ。 東野:腹立つわー。お前、ほんまにタダでは転ばんな。はい上がってくるな。 渡部:この2年間でセカンドキャリアについていろいろ考えたんです。僕も芸人しかやってないから、何もできないまま、40代後半で放り出されたらどうしよう、っていう。そこでちょっと始めてみたら、あっ、意外とこのキャリアも無駄じゃなかったなって、明るい未来が見えてきて、またちょっと生活が変わったんです。
「渡部商店」のシャッター開けました
東野:恐ろしいなあ。でもたしかに、その話は聞きたいな、って思うもん。そういう活動をするために児嶋との話し合いはあったの? 渡部:ありました。とにかく僕は、あるタイミングで「自粛期間はもうやめます」っていう宣言をしたくなったんですね。で、迷惑をかけたくないから1人でやるって言ったら、児嶋が「いや、ちょっと待て」と。それは違うだろうっていうことになって、結果的に千葉テレビの『白黒アンジャッシュ』に戻す形を作ってくれたんです。 やっぱりここから戻らなきゃダメだろうっていうことで、千葉テレビの皆さんにも力を尽くしていただいて、スポンサーさんにもご理解いただいて、やりましょうっていうことになって。 東野:じゃあ、その『白黒アンジャッシュ』の復帰のときが、自分としては「渡部商店」のシャッター開けましたよ、っていう。