三島喜美代さん、上村淳之さん、林聡さん…逝った関西美術界の巨星をしのぶ
令和6年は関西の美術界の巨星たちを失った年になった。6月には陶器に新聞などの印刷物を転写することで氾濫する情報への危惧を表現した三島喜美代さん、11月には花鳥画の第一人者で文化勲章を受章した上村淳之さんが亡くなった。また、同月、関西の著名な美術作家たちが個展を行ってきたギャラリーノマルのディレクター、林聡さんも逝った。 ■「命を懸け遊ぶ」作品に投影 現代美術作家・三島喜美代さん=大阪府出身。美術家。具象画から抽象画へと進み、70年代には陶に印刷物を転写する技法で注目を集めた。6月19日死去、91歳。 「ゴミばーっかり作ってますねん」 これが、三島さんのいつものあいさつがわりの言葉だった。 1960年代には古いコートなどの衣類を用いてコラージュ作品を作ったりもしていたが、70年代に入り、陶を使った立体に移った。確かに、新聞紙や飲料水の缶のラベルを転写した陶製の作品をみていると、「ゴミ」というのも納得できる。 しかし、その完成度は本物と見まごうばかり。ときに陶芸家の人物図鑑で扱われることもあったが、本人の意識はあくまでも芸術性を追求する美術家だった。 「そうやって遊んでるんやね」 体調がすぐれないというのに、腰を曲げながらアトリエの作業台の上で粘土を伸ばしていた姿が忘れられない。「命を懸けて遊ぶ」という気持ちが、生まれてくる作品にすごみを与えていた。 晩年は海外のアートフェアなどにも意欲的に出品し、世界的な評価を高めていった。森美術館で令和3~4年に行われた「アナザーエナジー展」をはじめ、昨年は岐阜県現代陶芸美術館で個展、ことしも練馬区立美術館で回顧展と、国内での人気も高まるなか飛び込んできた訃報だった。 あけすけな人柄で、若いころの交遊譚などをてらいなく話してくれた。いくつになってもチャーミングな人だった。 ■鳥との信頼 画業につなげ 日本画家・上村淳之さん=本名・淳。京都府出身。文化勲章を受章した日本画家で花鳥画の第一人者。京都市立芸術大名誉教授。11月1日死去、91歳。 祖母、松園は美人画の巨匠、父、松篁は花鳥画の大家。京都画壇の系譜でいえばサラブレッドである。偉大な祖母、父の業績は、同じ日本画の道を歩む淳之さんに重くのしかかってきたのではないか。