想像以上だった生態系クラッシュ──「水辺の外来種のラスボス」アメリカザリガニとの終わりなき戦い
水草が消えた水辺は、浄化作用が低下し、茶色く濁る。関係者が呼ぶところの「アメザリ色」だ。アメザリ色に変色した水辺は、アメリカザリガニがそこを征服した証しだ。 「桶ケ谷沼が受けた生態系クラッシュは想像以上でしたね。この沼を代表するベッコウトンボという絶滅危惧種が、アメリカザリガニが激増した翌年(1999年)に過去最低の数しか確認できず、絶滅寸前まで追い込まれてしまった。地元関係者が年間2万匹ぐらいずつアメリカザリガニを駆除しましたが、環境は回復せず、危機的状況は今も変わりません」
「弁当箱を開けて、アメリカザリガニが入ってると悲しくてさ」
アメリカザリガニは、もともと北米のミシシッピ川流域に生息していたザリガニだ。体長は平均すると8センチから12センチほどである。1927年、ウシガエルの餌として日本に持ち込まれ、ここから「進軍」が始まった。養殖場から逃げ出し、あるいは捨てられ、自分の脚で、ときに人の手によって生活圏を広げていく。産卵数はニホンザリガニが50個ほどなのに対し、アメリカザリガニは一度に200~1000個とも言われている。水質汚染などにも強く、アメリカザリガニは初上陸から30年ほどで、ほぼ全国で見られるようになった。 数が豊富で捕獲も簡単なため、ひと昔前までは、北関東では食卓に上がることも珍しくなかったという。『ザリガニ飼育ノート』の著者で、千葉県佐倉市出身の下釜豊久(49)の証言だ。 「70代、80代ぐらいの方は、昔、お米が買えないと、よくアメリカザリガニを茹でて食べてたらしいです。そんなにおいしいもんじゃないんだけどね。なので、年配の人は、『弁当箱を開けて、アメリカザリガニが入ってると悲しくてさ』なんて昔話をよくするの」 地域によっては、生物教材の一つとして学校側がアメリカザリガニを子どもたちに配っていた。飼えなくなった子どもが近くの池や川にアメリカザリガニを放すのは誰しも予想できただろうが、そのことによって引き起こされる悲劇までは想像力が及ばなかった。 苅部はこう悔いる。 「僕らが外来種による生態系悪化の過程を初めてちゃんと見ることができたのは、1990年代から2000年代にかけてのブラックバスの例だった。アメリカザリガニによる環境悪化はそれより前にはるかに進んでいて、その状況が当たり前になりすぎたゆえに40~50年間、研究者もその危険性に気づかなかったんだと思います。僕も桶ケ谷沼のクラッシュを目の当たりにして、初めてそういう視点を持つことができた」