オーストラリアの「最後の秘境」のさらに先へ…【「海外書き人クラブ」お世話係・柳沢有紀夫の世界は愉快!】
開拓者の「夢の跡」へ
一方でここはパラダイスの跡地でもあります。このあたりに白人が入り込み始めたのはじつは最近のことではなく、なんと18世紀初頭に3度、イギリスが居留地を作ろうと試みたのだそう。ニューギニア島など周辺に浮かぶ島々との交易の拠点として、「第2のシンガポール」を目指したのだとか。 ガイドさんの話によると、その居留地にはのべ300名ほどが暮らしていたとか。その遺構をめぐるトレッキングコースになっています。 ほぼ平坦な道のりなので歩くだけなら1時間もかからないでしょう。とはいえ途中で見どころ、および「感じどころ」が満載です。 フランスやオランダなどの他国の侵略に備えて砲台も設けたそうですが、結局は使うことはなく仲良く交易したのだとか。 病気になっても安心。いや、こんなところで病気になったら不安でしょうね。 これを見てふと疑問が沸き起こってきました。このあたりは熱帯です。暖炉なんて設備的にいちばん必要ないのではないでしょうか? その質問にガイドさんの答えは「イギリスと同じ様式で生活がしたかったからですよ。やっぱり望郷の念に駆られていたんでしょうね」。 そしてもう一つ興味深い話を教えてくれました。「じつは女性たちは当時のイギリス女性が身につけていた八重のペチコートまで着ていたんですよ。この暑い気候の中で」。 ここでいう「ペチコート」は今の日本で使われている「スカートの内側、パンティーの外側に着用する下着」ではなく、「何層かになっている厚めのスカート」くらいの意味です。 一年中最高気温は30度越えで、最低気温も20度越え。そんなこのあたりでも「イギリス風」の生活を守ろうとした人たちのことを考えるとなんだか無性に切なくなりました。 当時は飛行機なんてない時代。今の私のように気軽に一時帰国なんてできないでしょうし。 残念なことに開拓者たちの物語はハッピーエンドでは終わりませんでした。19世紀初頭に疫病や何度か見舞われたサイクロンでコミュニティーは全壊。以降ヨーロッパ人の「植民地拠点」としての役目は終えました。 そんな悲しい廃墟を、当時に想いを馳せながら歩く約2時間のトレッキングコース。ガイドさんによると年間で訪れるのはせいぜい1500人ということですが、それでもしっかり整備されていました。そして整備してくれてありがとうと思いました。 出かける前にソワソワするのも旅。行っている最中にワクワクするのも旅。でも家に帰ってきてホッとするのも旅の一面ですよね。 ほぼほぼ「片道切符」に近かったであろう当時の入植者たちに思いを馳せながら、また旅に出ます。 私が書きました! オーストラリア在住ライター (海外書き人クラブ)柳沢有紀夫 1999年からオーストラリア・ブリスベン在住に在住。オーストラリア関連の書籍以外にも『値段から世界が見える!』(朝日新書)、『ニッポン人はホントに「世界の嫌われ者」なのか?』(新潮文庫)、『日本語でどづぞ』(中経の文庫)、『世界ノ怖イ話』(角川つばさ文庫)など著作も多数。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」のお世話係。
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