「スーパーボランティア」が見た能登半島の今 地震発生から半年、受け入れたくても受け入れられない被災地の事情とは
能登半島地震発生翌日の1月2日夕方、ミニバンで愛知県小牧市の自宅を出た。現地を通る際、緊急車両の邪魔にならない時間帯を狙った。渋滞にも遭遇せず、日付が変わるころには石川県珠洲市に入った。車には水や食料、工具。道中は倒れた家や土砂崩れの箇所を見つけると、道路の端に寄せた。垂れ下がった電線にはタオルを結んだ。後続の車両が通りやすくするための工夫だ。 【写真】「犠牲者がどんどん…ご遺体の取り扱いは時間との勝負なのに」 化粧を施すと、遺族が泣きながら「かわいくしてもらったね。よかったね」と…
自ら宿泊拠点を構え、重機や特殊車両を使って活動する「技術系ボランティア」の藤野龍夫さん(72)。東日本大震災を皮切りに、数え切れないほどの災害現場に駆け付けてきた「スーパーボランティア」だ。能登でも休みなく被災地の依頼に対応している。「したいことをさせてもらっているだけ」と話す藤野さんに、自治体や被災した人たちが寄せる信頼は厚い。 地震から7月で半年。珠洲市にはつぶれた住宅や盛り上がったマンホールが手付かずのまま残っている。復旧・復興が進まない理由の一つに挙げられるのがボランティアの不足だ。実情を知ろうと藤野さんの活動に同行すると、受け入れたくても受け入れられない被災地側の事情が浮かんできた。(共同通信=古結健太朗) ※記者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。 ▽大きく揺れた直後から ゴーという地鳴りで目が覚めた。6月3日午前6時半ごろ、石川県珠洲市。災害復旧支援ボランティア団体「チームふじさん」が拠点とする木造民家が、大きく揺れた。震度5強の地震だった。
「この家が崩れたら死ぬ」。この拠点に泊まらせてもらい、ボランティアの活動を取材していた私(記者)は飛び起き、スマートフォンを握りしめ、寝間着のまま外に出た。チームのメンバーや周辺住民と話していると、後ろから声をかけられた。「被害があるかもしれないから見に行く。ついて来るか」。団体代表の藤野さんだった。既に青いヘルメットをかぶり、手にはトランシーバー。迷わず「行きます」と答えて、急いで着替えると軽トラックの助手席に乗り込んだ。 2時間ほどかけて、市内で1人暮らしをする高齢者宅を回った。道路の両脇にはつぶれた家があったが、藤野さんによると、この日の地震で新たに倒壊した建物は見受けられなかった。何か月もこの地域で活動していた藤野さんには分かるようだった。けが人も見つからず、行く先々で声をかけられた。「来てくれてありがとう」。自治体職員でもない藤野さんはなぜ、即座に安否確認に動いたのか。車内で尋ねると、こんな答えが返ってきた。「下敷きになった人がいれば、僕らが助けたり消防に連絡したりもできるから」