「スーパーボランティア」が見た能登半島の今 地震発生から半年、受け入れたくても受け入れられない被災地の事情とは
▽「神様、仏様」 藤野さんが初めてボランティアに参加したのは2012年。東京電力福島第1原発事故で避難指示が出た福島県南相馬市だった。 能登半島では昨年5月にも震度6強の地震があった。今回はこのときに知り合った人を通じて空き家を紹介され、1月4日から滞在している。支援物資の運搬、倒壊家屋からの車や貴重品の取り出し、屋根の応急修理、エアコンや水道の修理など、主に珠洲市のボランティアセンターに寄せられた依頼に対応している。 6月5日午前は、元日の地震で崩れた納屋から耕運機とコメの保冷庫を取り出す依頼を請け負った。チェーンソーで壁の骨組みを切り取り、油圧ジャッキやショベルカーを使って屋根を持ち上げ、3時間ほどで活動を終えた。仮設住宅で暮らす依頼者は手を合わせ、頭を下げてこう話した。「これで畑ができる。神様、仏様」 こうした技術系ボランティアの団体は、発生直後から珠洲市や輪島市、七尾市など、能登半島の各地で複数が活動している。石川県災害対策ボランティア本部の担当者は言う。「行政の手が行き届かない点もカバーしていただき、ありがたい」
▽ボランティア活動は順調?他の災害より見劣りする数字 藤野さんの活躍ぶりを見る限り、能登の被災地でのボランティア活動は順調に思える。ところが、他の災害に比べて見劣りする数字がある。社会福祉協議会などを通じて参加する「一般ボランティア」の活動人数だ。 全国社会福祉協議会によると、石川県内各地の災害ボランティアセンターを通じて能登半島地震で活動した人は、5月26日までに延べ約9万人。2011年3月の東日本大震災では7月までに岩手、宮城、福島の3県合計で延べ約68万人、2016年4月の熊本地震は8月までに熊本県内で延べ約11万人だったが、いずれの地震に比べても少ない数にとどまっている。 石川県の馳浩知事が発生間もない1月5日、X(旧ツイッター)にこんなメッセージを投稿した。「能登への不要不急の移動は控えて」。これがボランティアの足を止める要因になった、という声は根強い。他方で、馳知事の投稿前に現地で活動していた藤野さんは、むしろ原因はそれ以外にあると分析する。「能登半島地震は、いろいろな問題が重なって今の状況になっている」 ▽「行ってくださいとは言えなかった」