「軍」にまつわる地図記号の変遷。かつては種類が多かったものの、あるときから森林や田畑の記号に擬装…その理由とは?
◆地形図記号の世界で行われる「軍縮」 終戦直後に地理調査所(内務省のち建設省所属)と名前を変えた地図作成機関も、しばらくの間は戦前版を印刷していたため多くの図が空襲などの被害を反映していない。 それでも軍関係の記号だけは削除して刊行した。第三師団のあった名古屋城も市の象徴であった天守閣は焼け落ち、地形図の注記も「名古屋城」から「名古屋城趾」に変わっている。 その後は「陸海空軍その他の戦力」を持たないと定めた日本国憲法が施行された。軍隊のない国がスタートしたが、やがて東西冷戦の中でアメリカは日本の事実上の再軍備を求め、保安隊や警備隊などを発展させた形で昭和29年に陸海空の自衛隊が発足した。 その翌年に制定されたのが、戦後初めての図式である「昭和30年図式」である。できたばかりの自衛隊もこれに反映され、陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊の3種の記号が戦前の「陸軍兵営」の記号を応用して定められた。 「昭和40年図式」では全般的な記号の統廃合に伴い「自衛隊」に統合されて「平成21年図式」まで長く続いたが、「平成25年図式」ではさらに記号の見直しが進み、工場などとともに廃止されている。現在の図上では駐屯地の固有名詞を文字で示すのみだ。 昨今の世界情勢を反映して防衛費そのものは伸びているが、地形図記号の世界ではひっそりと「軍縮」が行われていたのである。 ※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
今尾恵介