日本人は禅、神道を世界にもっと発信すべき ── サティシュ・クマールが説く「美しいビジネス」
日本人は「愛」が苦手
──サティシュさんは「愛」が最も尊く、あらゆるものに「愛」が必要だと言っています。しかし日本人はシャイで、「愛」が大切だと頭では理解していても言葉や態度で表現できないでいます。どうしたら日本人は躊躇なく「愛」を表現できるようになるのでしょうか。 サティシュ:「with love」ではなく、「with joy」あるいは「with pleasure」(喜びと共に)だとどうでしょう。 例えば、私があなたにお茶を淹れるとします。あなたから「ありがとう」と言われたら、私は「my pleasure」と言いますよね。それはあなたのことが好きだからしたことですが、「I love you」と言っているわけではありません。 インドでは「pleasure」を「ananda」(アナンダ)という言葉で伝えます。そして、何をするにしても「アナンダ」がなければならないと教えられます。日本人がシャイで「love」と言えないならば、「pleasure」や「joy」と捉えていただくと良いかもしれません。
「真実」と「科学」の前に必要なもの
──最新の著書『ラディカル・ラブ』で最も伝えたいことは何ですか。 サティシュ:最初に伝えたいことは「シャイにならないで!」です。「愛」について語ることは大事なこと。 2つめとして、「真実」は大切ですがその前に必要なのが「愛」ということ。 「真実」は人によって異なります。宗教においても、仏教の真実、ヒンドゥーの真実、キリスト教の真実があり、政治においても、中国の真実、アメリカの真実、それぞれあるわけです。 このように「真実」しかなければ、「私の真実だけが正しい」という気持ちとなり、それがやがて憎しみに、争いへと発展する可能性もあるのです。 「愛」が前提にあれば、誰の真実も受け止めることができます。 「あなたは共産主義者ですか? 私とは違うけれど愛していますよ」「ヒンドゥー教の方ですか? 私は分からないけれど愛しています」と、自分とは違う立場の人を受け入れることができます。 それはすなわち、多様性の祝福につながるのです。 さらに言うと「真実」は必ず「科学」の前になければいけません。テクノロジーがビジネスに使われてしまう前に「真実」が、そしてその前に「愛」がなければならないのです。 仮に「科学」が真実や愛の前に出てきてしまうと、武器が作られ核兵器が作られ間違った利用がなされてしまいます。けれども自然と人に対しての「愛」が前提として存在すれば、そんなものは作られることはないでしょう。 今の社会システムは、画一的であるがゆえに多くの分断を生み出し、画一性は戦争を引き起こします。世界平和のためには、本当の意味での多様性が祝福されている必要があります。 アメリカや中国、ロシアがそれぞれ自国のシステムを外に押し付けようとするとき、イスラエルの主張をパレスチナに押し付けようとするとき、戦争は起こります。 人は一人ひとり違います。まずはその違いを認め、尊重するところから始めなければなりません。他者を受け入れるには、自分を愛する必要があります。 自分を愛するということは、決して傲慢になることではありません。自分を受け入れるところからしか世界平和は始まらないのです。 (文・吉田麻美、通訳・小野寺愛、編集・高阪のぞみ)
吉田麻美