青木さやか「ぶら下がり健康器、大岡越前…子どもの頃、両親の帰りを待った祖母宅の思い出。96歳の祖母は今も元気に一人暮らし」
お笑いの仕事だけでなく、女優・エッセイストとしても忙しい毎日を送る青木さん。今回は「田舎の祖母宅のことを思う人として」を綴ります。 【写真】ひ孫のスマホを覗き込むおばあちゃん * * * * * * * 青木さやか「20代からハマり続けているスーパー銭湯。何も隠さない堂々たる姿に若い時はおののいたが、わたしも今、そうなっているのかも」はこちら ◆思い出深い祖母の家 わたしには、固定資産税を払っている家が2軒あり、一つは都内の自宅マンション。もう一つは、地元愛知県で祖母が一人暮らししている庭付き戸建て(滞納気味)。 母が亡くなった時、わたしが祖母宅を相続した。祖母が亡くなった場合、いよいよその家どうするの?と考えなくてはならない、思い出深い祖母宅である。 昭和40年代後半、両親が建売で購入した一軒家から徒歩15分の場所に、祖母宅はあった。(祖父が建てたのだが、何故だか、おばあちゃんち、と呼ぶものですね) 両親は共働きだった為、小学生の時は学校から自宅を通り越し祖母宅へ帰り、夕飯を食べ、暗くなった頃に迎えにくる母を待った。 当時、同じ学校のイケてる友達の家に行くと、クッキーを家で焼く!とか、ココアが出てくる!とか、ピザが宅配で!とか、嘘だろう…ドラえもんのスネ夫家の世界かよ!みたいな驚きと興奮があった。一方で、祖母宅では全くそんなものはなくて、洋食すらなくて、壺の中の梅干しと、タッパーの漬物と、豆腐と小松菜の味噌汁と(祖母は小松菜信者)、甘くてベタベタした小魚が固まって取れにくいやつと、まあ大体がそんな感じで、子どもだったわたしのテンションを上げてくれるものではなかった。
◆祖母の「三角食べ」 「三角食べ」という言葉を祖母は乱用していて、何かというと、ごはん→汁物→おかず→ごはん→汁物→おかず、と三角に食べていくということらしい。当時うちの地域では学校で習ったような気がする。祖母は、小松菜の栄養と、三角食べの良さを信じていた。 日の当たらない台所でごはんを食べ終わると、隣の居間に祖父がドッカリと座っていて、囲碁の番組をみるか、株価を聞いているか、何かを調べているか、大体そんな感じだった。 隣の和室に、ぶら下がり健康器が置いてあって、「ぶら下がれ」と祖父は言った。わたしは、それは好きではなかったから、2階の曽祖母のところへ行ってテレビを観ていた。時期や時間の記憶は曖昧だけど、白い巨塔、2時のワイドショー、大岡越前、何となく覚えている。 曽祖母の部屋には黄色と緑の混ざったインコがいて、ピーちゃんと呼ぶと、ピーちゃん!と言えるインコで、可愛かった。日が暮れてくると、外にはコバエくらい大群のコウモリが飛んでいて、よく窓から祖母宅に入ってきて、しばらくコウモリを家で飼っていたこともある。
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