「本当は10年かけたかった」鈴木敏夫プロデューサーが語る、宮﨑駿最後の長編の“反作用” #ニュースその後
──高畑さんがいなくなって2人になって、鈴木さんと宮﨑監督の関係は変わりましたか? 「何も変わりません。今日だって会ってしゃべってきましたよ」 ──最近はどんなことが話題にのぼるんです? 「その日の気分だもん。これと決まっているわけじゃない。まあ、例えばね、アメリカでお客さんが入ったと思うと、監督としてはうれしいじゃない? それをどうやってくじくか、とかね(笑)」 ──どういうことですか? 「だって、そんなことで喜んでいたらだめになるじゃない。終わったことなんだから、いちいちそんなことに反応しないでよ、って」 ──さすがにもう手放しで喜んでもいいのでは。 「だめ。死ぬまで前のめりじゃないと。違う? 余韻に酔っちゃいけないの。と、僕は思いますけどね。そこに待っているのは、落とし穴だから」 ──82歳になっても? 「そう。映画の監督なんて死ぬまで監督なんだから」 --- 鈴木敏夫(すずき・としお) スタジオジブリ・プロデューサー。1948年、名古屋市生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、徳間書店入社。『アニメージュ』の創刊に参加し、副編集長、編集長を務めるかたわら、高畑勲・宮﨑駿作品の製作に関わる。1985年にスタジオジブリの設立に参加し、1989年からスタジオジブリ専従。以後ほぼすべての劇場作品をプロデュースする。