『ヴィオレッタ』美しすぎる少女が母を狂わせる―実在の親子が体験した背徳の世界。47歳になった娘は、母親に損害賠償請求を
◆深い轍 娘の性への態度は、おそらくは親の性的な経験や態度、解釈への鏡として形成される。アンナのスタジオは異常なほどの多くの鏡や、髑髏など死をイメージさせるオブジェで埋め尽くされているが、彼女のナルシシズムと、けがされた過去による死への願望を象徴してあまりある。窓も閉め切りのそこは胎内かもしれず、あるいは孵化せずに死んだ蛹の繭の中なのだろう。それを破って出ていけないなら、ヴィオレッタの精神も孵化せずに死ぬ運命だ。 おそらく母のアンナ(母のイリナ・イオネスコ)は、そこから出られないままだったのではないか。遂に近隣住民の告発により、アンナは裁判所から「児童虐待」の罪を問われ、母親の資格なしとしてヴィオレッタから引き離される。 この後に行われるアンナへのカウンセリングの中で、アンナも、そのまた母も、娘のヴィオレッタ以上のねじれた性体験を持つことが明らかにされ、物語はまるで心理ミステリーのような深さと多重構造をはらんでくる。 「不幸は世代をまたいで連鎖する」 その深い轍をヴィオレッタは断ち切れるのか。そして、母親から自立できるのか。このテーマが現れ始めると、この特殊な物語は、一気に普遍的な物語へと変容する。そう、アンナは、ヴィオレッタは私たち自身なのだ。 この映画は、あまりにも遠くて、あまりにも近い、私たち自身の物語だ。この映画の中で、きっとあなたは自分自身を、そして自分の母親を発見するに違いない。まるで夢のような幻想的な映像と、甘美さの中で……。
さかもと未明