孤高の先駆者、溝口和洋さん「やり投げを好きと感じたことはない」 パリ五輪へ北口榛花は世界記録も目指せる「才能」
「初めて出た(1984年)ロサンゼルス五輪でえらい失敗(予選落ち)をして、すごく悔しかった。『次のソウル五輪こそは』という思いで、4年で全てをやろうと思った。だから練習量が普通の人より3倍ぐらいになった。普通ではなかった。でもやり投げを好きと感じたことはないんよ。義務みたいな感じ。やらないと生きている価値はないと思った。俺ら競技者は現役が終わってから後の人生は、そこまで燃えることはない。だから『今しかない』と思ってやっていた。今思い返しても一切後悔はない」 ▽指導に携わるも名声や称賛は不要 今は指導にも携わっている。ただ、選手を取材していても「溝口さんから教わっている」と聞いたことはない。 「それぞれコーチがいるから『絶対に言うな』と言っている。『おまえらに有名にしてもらわんでいい』と。もう十分名前は通っとる。自分はもう現役じゃないから、指導者の名声や称賛はいらない。選手が伸びればそれでいい」
「今一番悪いのが、ネットが普及して、世界中の投げを簡単に見られる。それを高校の指導者が見て教える。それが一番良くない。基礎が全くできないまま、変な癖がつく。それはもったいない。体自体は僕らの時よりみんな大きくなっているからね。やりの性能も上がっているし、俺の記録なんてもう抜かないといけない。今は基礎ができてない選手が多いから、それを何とかしたいという思いがある」 ▽マスターズ大会で世界記録の夢も 作業場の後ろにはウエートトレーニング器具がある。今でもトレーニングは続けているのか。 「3年前に少し歩けないようになった。腰の筋肉が落ちて神経を刺激したのか、びりびりとなって20分ぐらい立てなかった。これはやばいぞと思い、スクワットだけはしようと。そこからいろんなことをやり出したら、体が強くなった。ベンチプレスもこの前130キロが上がった」 「最近教えるついでに、自分でやりを手に取るようにもなった。体はまだ感覚を覚えているし、マスターズの大会に出ようと思っている。60~64歳の部で、世界記録(62メートル47)更新を35年越しに成し遂げたい。出るなら70メートルぐらいまでは狙いたい。北口に負けてはいられない」