「時代の流れとはいえ、切ないね」かつての“シャープの城下町”が、現在はシャッター街に…やっと動き出した再生への第一歩
かつては企業誘致で栄えた地方都市が急速な荒廃に直面している。不況によって、地元を支えてきた大手企業の工場閉鎖・縮小が相次いだためだ。活気を失い、まるで“ゴーストタウン”と化した現在の街に迫った。 ⇒【写真】2018年に工場が閉鎖されてから、街は静まり返っている
かつての“シャープの城下町”今はシャッター街へと変貌
1968年にシャープの栃木工場が開設され、およそ半世紀もの間「シャープの企業城下町」と言われ続けてきたのが栃木県矢板市早川町だ。 カラーテレビの専門工場としてスタートした同工場は、1986年に従業員数が約3000人に達し、そのうちの半数は同市在住だった。 工場のすぐそばで美容院を営む高齢の女性は、「昔は道路に面したそこの女性寮に向かって、外から男性が大声でナンパしたり、大騒ぎしたりして賑やかだったんだから。うるさくて迷惑だったけど、なんていうか街が元気だった。今はそんな面影もないわ」とぽつりとつぶやいた。 ’18年に工場が閉鎖されてから、街は静まり返っている。 この工場用地はとにかく巨大だ。敷地内には液晶テレビを開発・生産する工場や関連施設が何棟も立ち並び、さらに何棟もの社員寮や研修所、広々とした体育館に運動場まである。 敷地を一周してみると、かかった時間は1時間以上、8000歩に達した。まるでひとつの街のようだ。一部の建物はツタで覆われ、人が消えた大企業の建物群は、まるでゾンビ映画の“セット”のようだった。
「当時は『シャープあっての矢板』と言われるほど…」
歩き続けていると、偶然にも「この栃木工場が開設される時代から、定年まで勤務した」という生え抜きの元社員の男性(70代)に遭遇。当時の盛り上がりぶりを聞いた。 「当時は『シャープあっての矢板』と言われるほど、蜜月関係にありました。シャープの労働組合から代表して1人を市会議員として送り込んでいたこともあった。そして連日連夜、従業員が地元のスナックやキャバレーにお金を落とすので、多くの店から『シャープがあるから子供を大学に行かせることができた』と何度感謝されたことか……」 しかし今はどうだろう。潰れている店がとにかく多い。 「人気だったキャバレーが葬儀屋になっちまうなんて。時代の流れとはいえ、切ないね」と、男性は肩を落とした。