【追悼】父・谷川俊太郎さんを息子・谷川賢作さんが語る
父の書く詩はリズムが音楽的で仕事がしやすい
━━ お父様のデビューのきっかけは、徹三先生が三好達治に息子の詩を見せたという、父親の力に与かるところ大だったと伺ったんですが、 賢作さんはまったく独力でスタートを切った? いや、そんなことないですよ、やっぱり。だって思い起こせば、映画監督の市川崑さんを紹介してくれたのは父親だし、つまり僕が作ったデモテープを市川組の音響の人に持っていってくれたらしくて、市川さんが「そうか、俊ちゃんの息子か。じゃあ面白いから使ってみよう」みたいなことになったわけですからね。最近は二人で、学校の校歌を作る仕事を一緒にしてますし。 ━━ 日本全国、いろんな学校の校歌を手がけてもう何校ぐらいですか。 あ、何校かなあ。それちゃんと言えなきゃいけないんだけど、幼稚園から小・中・高、大学も二つくらいあったし、十四、五校にはなると思いますね。この仕事だって校長先生やPTAの人たちははじめは僕の名前なんか知らないわけですよ。それを父親が僕に仕事を回してやろうと、うちの息子、作曲をやってるんですけどって言って、「親子丼でいいですか」みたいなこと聞いてくれたらしい(笑)。 ━━ 親子丼ですか! 校歌の場合はまず詞が先ですよね。お父様の詞は音楽が付けやすいですか。 付けやすいです、はっきり言って。詞そのものが明らかに音楽的ですね。音楽って数学的なところもあるし、構造、ストラクチャーが大切なんだけど、何かその辺のリズム感が音楽的なんだなあ。歌詞を読んでいくと自然に、こう来て次はこうなるなって、あんまり無理矢理に合わせなくちゃならないところがなくて、ああ、この人分かってるなという感じですね。 ━━ 親子だから共通のベースがある? それは関係ないと思いますよ。それにこっちの曲に詩をオーダーした場合、意外と僕、ダメ出しするんです。この間も企画もので谷川俊太郎さんに詞を書いていただいたんですけど(笑)、 ダメ出しして書きなおしてもらった。 本人も音符が先にあってそれにはめて書くのは苦手だって言ってますね。 ━━ お父様は大の車好きで、バイクにも乗っていらしたそうですが、今は? 昔は車検のたびに車を買い替えていたような覚えがあるけど、さすがにそういうパワーはちょっと落ちて、今はフィアットの黄色いプントとホンダのワンボックスの二台。 ドライブは相変わらず好きですねえ。だけど僕、父親の運転苦手なんですよ。別にスピード狂っていうんじゃないんだけど、何か運転の感覚が違うんですよね。向こうも僕の運転は気に入らなくて、一緒に出かけるときは二人とも自分が運転したがる(笑)。 ━━ 車、ラジオ、ファッションなどなど、実に趣味が多い。 最近は行く先々で地ビールを飲む趣味もできたみたいですよ。 ━━ ますます人生を遊ぶ達人に。 うん、気合が入ってるんじゃないですか(笑)。 撮影=百瀬恒彦 取材=福士節子 『婦人画報』2000年10月号より