【追悼】父・谷川俊太郎さんを息子・谷川賢作さんが語る
夫婦が食卓で映画や小説について議論する
━━ お父様は詩人の谷川俊太郎さんで、お祖父様は哲学者の谷川徹三さん。作曲家として活躍する賢作さんに至る父子三代には、芸術性豊かなミューズの系譜を思わざるをえません。 うーん、僕は父親が詩人だというのを学校で言うのが恥ずかしかったんですよ。友達には「何だ、それ?」って言われるし、学校の先生にも「おまえんとこの親父は詩人かあ。ハハー」みたいなこと言われて、......食えるのかよって(笑)。だからお父さんの仕事はって聞かれると、著述業とか文筆業とか言ってましたね。 うちは僕と妹と二人きょうだいなんですが、父親はああいう一人っ子育ちでしょう。 子どもの躾はあきらかに母親の担当で、母親には常に小言を言われる一方、父親はほとんど何も注意しないで朝は遅くまで寝てる人だった。 僕ら小さい頃、お父さんは夜ずっと仕事をしてるんだから、あんたたち学校に行くまで静かにしてなさいって母親からの厳命があって、その辺からああうちはよそのお父さんと違うんだなあと認識していったわけです。で、学校から帰ってくると父親はやっぱり仕事部屋に篭もって仕事してたり、外出していたり。でも夕食はほとんどいつも一緒だったような気がする。母親がよく言ってたけど、本当に外で遊んできたり飲んで帰ったりしない人だって。 当時、何かあだ名がついていたらしいですよ、たしか「家路ちゃん」とか(笑)。うちの父親、交友範囲はすごく広くて、物書き仲間でも作曲家でも親交のある人は多いんだけど、帰りにちょっと飲んで行こうかみたいなことは余りなかったらしいんです。 ━━ 夕食は家族揃って賑やかなのがいちばん? と思っていたのかどうかは分からない(笑)。調べものがあるとすぐ調べる人で、僕が何か質問するとすぐ百科事典を持ってきて調べてくれるんだけど、たとえ食事の最中でも調べ始めちゃうものだから母親の方は嫌がって、ご飯食べてからにしてよみたいなことになる。まあ好奇心旺盛ということで、食卓の話題はいろいろあったんですが、そこでかなり厳しく言われたのは、大人が話しているときに子どもは口を出すなということですね。 うちは父と母が二人で、映画とか小説とかのかなり深みにはまった議論をしていたことがよくあったんです。 そういうときに会話を小耳にはさんで、「それは何?」みたいなことを言ってはいけないというルール。もちろん話についていける場合はオッケーなんだけど、僕らは小学生ぐらいだから美学的な話になると全然ついていけなくて、黙って二人の話を聞いているしかなかったわけです。 ━━ 子どもが一緒の食卓で、そういうハイレベルな会話が展開する家庭。 二人で話し始めたらもう止まらないという感じでしたね。ほかにもいろいろな約束があって、夜のテレビは一日一時間。しかもアニメや『仮面ライダー』は見せてもらえない。いわゆる子ども番組は全部だめなんです。で、何を見ていたかというと『木枯し紋次郎』で、これは父親がシナリオを書いたりしてたからでしょう(笑)。でもそういう約束も、たぶん母親が提唱したんじゃないかと思いますけどね。