【追悼】父・谷川俊太郎さんを息子・谷川賢作さんが語る
詩人の谷川俊太郎さんが11月13日、お亡くなりになりました。92歳でした。 2000年、雑誌『婦人画報』の人気連載「我が父を語る」に、谷川俊太郎さんと息子の谷川賢作さんに続けてご登場いただいたことがあります。谷川俊太郎さんが父の哲学者・谷川徹三さんについて語り、次いで作曲家の谷川賢作さんが、父・谷川俊太郎さんについて語った回です。そこには、日本を代表する詩人の、父としての飾らない素顔、息子としての率直な姿が、浮かび上がっていました。 今回は、父・谷川俊太郎さんを息子の谷川賢作さんが語る回を復刻します。谷川俊太郎さんのご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を捧げます。 心よりご冥福をお祈りいたします。 婦人画報編集部一同
「我が父」を語る|息子・谷川賢作 父・谷川俊太郎
[父] たにかわ・しゅんたろう 1931年東京生まれ。10代から詩作を始め、52年に第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。以後、詩以外にも「マザーグース」や「スヌーピー」の翻訳、エッセイ、絵本、童話、脚本、作詞、写真、ビデオなども手がけ、幅広いジャンルと世代のクリエイターとのコラボレーションも積極的に行ってきた。読売文学賞、萩原朔太郎賞、鮎川信夫賞、三好達治賞などを受賞多数。2024年11月13日没。
[息子] たにかわ・けんさく 1960年東京生まれ。ジャズピアノを佐藤允彦に師事、84年に初のソロコンサートを開催。現代詩を歌うバンド「DiVa」で全国を巡演。谷川俊太郎氏の作詞で各地の校歌の作曲も行っている。86年市川崑監督作品で映画音楽を初めて手掛け、以後多くの映画音楽を担当、日本アカデミー賞優秀音楽賞を複数回受賞。各地の文化施設の音楽監督やアドバイザーを務める一方、ソロ作品も多数発表。
父があるとき贈ったクラシックのレコードが息子を音楽の路に進ませる一因となった。そして祖父がかつて父の道筋を開いたように、父は息子が音楽で身を立てることの手助けをする。三代にわたって続いたこの整合性。美を愛する心もまた、祖父から父へ、そして息子へと受け継がれたのかもしれない。