【追悼】父・谷川俊太郎さんを息子・谷川賢作さんが語る
新しもの好きで、息子より早くDVDも導入した
━━ 賢作さんの音楽性の発揮はいつ頃から。 僕は小さい頃から母親に言われてピアノを習っていたんですけど、うちはお祖母ちゃんがきちんとした音楽的素養のある人で、父親もとくに習ったりはしなかったようだけどピアノなんかちょろっと弾くんですよ。で、僕は小学校高学年くらいから家にあるレコードを、ベートーベンだのモーツァルトだのとっかえひっかえ聴いてた。そしたらある日、あれは誕生日のプレゼントだったのかな、父親がベートーベンの「田園」とハイドンの「皇帝」のミニチュアスコアって普通の楽譜の判型を小さくしたポケット版なんですけど、僕は何も言ってないのに、僕がそのとき熱中していた曲の楽譜を二冊、ポンとくれた。毎日レコードを聴きまくっているのを父親が知っていたとは思わなかったから、すごい意外な気がして嬉しかったですね。父自身、音楽はすごく好きで、ジャズでも何でも、小室等さん達とも親しいからフォークもロックも聴きますしね。で、スコアを見ながら音楽を聴くという楽しみを、僕はそこで教えてもらった。 映画も割合早い時期から連れて行ってくれたんですよ。学校の休みの時期になると東宝とか東映のまんが祭りみたいなのが必ずあって友達はみんなそっちに行くんだけど、そんなのは見る必要ない、それだったらって洋画を五本ぐらい選んで、その中から好きなの二本くらい連れてってやるよって。ピーター・オトゥールの『マーフィの戦い』というのを観たのが小学校の五年か六年で、それ、すごく印象に残った。で、映画に行ったときだったか何だったか、マクドナルドの日本一号店に行ってハンバーガー食べたけど、あれ確か1971年ですよね。 ━━ 銀座三越のマクドナルド。 できたばっかりですね。 そう、新しい物好きなんですよ、うちの父親。日本でジーパン穿いた最初の人だとかいう噂もあったし、車はよく替える、ワープロはすぐ導入、DVDなんかこの前、僕より早く買ってましたからね。 ━━ 賢作さんが音楽の道に進むことに関しては? 好きなようにしろと常々言われていたんですか。 いや、そんなこと言われ続けているのもかえって鬱陶しいという......何も言わず、反対もされなかったというところかな。僕は高校の頃からバンドをやってて、それからジャズの専門学校に行き、学校の掲示板に出ていたジャズクラブのピアニストのオーディションを受けてアルバイトの延長みたいな感じで仕事を始めちゃったんです。そのためか、最近ではもう一つ自分が確立されてないんじゃないかみたいな反省はあるんですけどね。 でも今の若者を見ていると、好きなことがなかなか見付けられないでうろうろしてる子がいっぱいいるわけだから、僕はその意味では早くからやりたいことがあってよかった。それはもう運がよかったということに尽きるんだろうけど、うちの親子は取り立てた反発もなく葛藤もなく、親離れ子離れがお互いにかなり上手くいったんじゃないかと思いますね。