「かわいそうに」は崖の上からの言葉。高橋メアリージュンが殺害事件の遺族に思うこと
「来てよかった」と思ってもらえる舞台をお見せしたい
劇団プープージュースさんとご一緒するのは今回で3度目。作・演出をされた山本浩貴さんと劇団員さんのお芝居に対する信頼感を胸に、安心して稽古に臨んでいます。 3度目とはいえ舞台は10年ぶりなので、心情的にはほぼ初めてに近いですね。映像の仕事が続いていたこともあり、稽古ではあらためて舞台との違いを感じています。 私が思う舞台と映像の大きな違いは、同じことが何度も繰り返されることだと感じます。映像の場合、セリフを言ってそこでOKが出たらそのシーンは終了。すぐに気持ちを切り替え、次のシーンに臨まなくてはいけません。その1回に全力を注ぎ込み、すべてを出し切ることが大切なので、終わったシーンのセリフは忘れてしまいます。 でも舞台はすべてのシーンのセリフをずっと覚えたまま、公演中はそれを何度も繰り返すわけです。繰り返すことで、新たな理解が生まれることもあるし、まったく同じものにはならない。そこは全然違いますね。 もうひとつ、舞台はお客さんの前で演じるものです。貴重な時間を使ってわざわざ劇場に足を運び、お金を払って2時間、3時間を過ごしてくださる。そんな方々に対して「来てよかった」と後悔させないだけのものをその場でお見せしないといけない。舞台には、映像とはまた違うプレッシャーがあります。
毎日同じ芝居を繰り返すことで見えてくるものがある
私自身もプライベートで舞台を観に行くことがあります。観客として観ている時にも感じることですが、セリフも含め、毎日毎日同じ芝居を繰り返すことで見えてくるものがある。『革命の家』の作者の山本浩貴さんが「繰り返すことは芸術」とおっしゃっているんですが、本当にそうだなと思います。 たとえば昔何度も観た映像作品を久しぶりに観たり、子どもの頃に好きでよく聴いていた音楽を耳にしたりすると、当時の気持ちがワーッとよみがえって、同じ思いを味わえたりしますよね? そういう芸術の話も今回の舞台には登場するので、ぜひそのあたりにも注目していただけたらと思います。 コロナ禍には、「非常時にエンターテインメントは必要なのか?」という議論もありました。生きるうえで必要な情報を提供するニュースがある一方で、エンターテインメントだからこそ癒せるものがきっとあるはず。私はこれからも芸術やエンタメの力を信じながら、この仕事を続けていきたいと思っています。 『革命の家』は暴力の連鎖を描いた作品ですが、それと同時に「暴力では奪えないものがある」「人の尊厳や美しい思い出まで憎しみの色に染めることはできない」というメッセージ性もある作品です。役柄が役柄だけに考えさせられることが多く稽古もかなりハードですが、気持ちを込めてアキラを演じようと思います。 「革命の家」 ドキュメンタリー監督である佐久間優は、世の中に突然現れ、暴⼒的な事件を数々起こしている集団<⾰命の家>に取材を申し込み、許可される。彼らは被害者遺族の集まりであり、事件を起こした加害者を次々に制裁していく。 ⽬の前で起きる圧倒的な暴⼒を体験し、暴⼒の連鎖の凄まじさを⽬撃する中で、佐久間は琴⽉アキラというテロリストに出会う。アキラは⾃分の両親を殺害された過去を持ち、最も攻撃的な性格を持つメンバーだった。佐久間は次第に彼⼥が⼼の中で抱えている葛藤に気づき、彼⼥をドキュメンタリー映画の主役として撮影ようと決意する。⽇本中に広がっていく狂気。⽌めることのできない復讐の連鎖の中で、最後に佐久間のカメラが映したものは……。 取材・文/上田恵子
高橋 メアリージュン(俳優)