「かわいそうに」は崖の上からの言葉。高橋メアリージュンが殺害事件の遺族に思うこと
池袋暴走事故で拘留中だった飯塚幸三受刑者が、2024年10月に亡くなった。12月28日の「報道特集」ではこの事故のことを改めて丁寧に報じ、被害者遺族の松永拓也さんが亡くなる前に直接対面した時のことも伝えていました。加害者家族とともに、なにより大切なのは、このような交通事故がなくなることだと訴えています。 【写真】高橋メアリージュンさん『革命の家』稽古の緊張した風景 この事件のみならず、無差別な通り魔殺人事件、酒気帯びや高齢による判断力の低下、無謀なスピードを出しての交通事故、まったく関係ない人が暴力をふるわれる闇バイト――。2024年も悲しい事件や事故が後を絶ちませんでした。さらにガザやウクライナでも今なお戦争が起きています。巻き込まれて命を落とした人や遺族にとって、法は必ずしも救いになるものではありません。高橋メアリージュンさんが出演したドラマ『アバランチ』や『新空港占拠』のように、無念さから「自分たちの手で裁く」ことを選んだ人々を描く作品も多く作られています。 高橋メアリージュンさんが新年初仕事として挑む舞台は、暴力に暴力で対抗する被害者遺族集団を描いた舞台『革命の家』。2024年の振り返りと新年の抱負、そして舞台に挑むにあたっての意気込みを語ってもらったインタビュー前編に続き、後編では被害者遺族への思い、映像作品と舞台との違いなどについて聞きました。
「かわいそうに」は崖の上からの言葉
舞台『革命の家』の役作りについては、YouTube等で実際に被害に遭われた方の動画を観たり手記を読んだりして、できるだけ当事者の気持ちに寄り添う努力をしています。でも知れば知るほど、本当の意味で同じ気持ちになることはできないという思いも強くあります。実際に経験していないので。 自分の大切な人を殺めた相手に復讐したい、同じ目に遭わせたいと思う。実際に行動に移すかどうかは別として、その気持ちはすごく理解できるものです。殺人事件のニュースを見た世間の意見でも、犯人に対して死刑を望む声が多いですよね。 ただ実際の被害者遺族の方々の中には、死刑を望まない方もいらっしゃいます。なぜなら犯人が死んでも、遺族の方々の苦しみは終わらないからです。「死刑が執行されました、これでこの件は終了です」には絶対ならない。加えて被害者遺族は、大切な人を失ったことでまず崖の下に突き落とされ、さらに社会からも崖の下に落とされます。 経済的支援もなく、特別視されることも少なくありません。世間が「かわいそうに」と同情するけれども、それはあくまでも崖の上からの言葉であって、遺族と同じ目線に立ってのものではないのです。 それは私も同様で、完全に被害者遺族の気持ちを理解することはできません。私自身は家族を殺されたことはありませんし、ここまで崖の下に突き落とされた経験もないからです。この作品を通して、少しでも被害者遺族の方に寄り添う人が増えて欲しいという思いもあり、今は自分なりに全力で、琴月アキラという役柄に向き合っています。