元兵庫県会議員が提言する、四面楚歌の斎藤元彦知事に残された「新党結成」とは異なる意外すぎる一手
全会一致の不信任案が示す地方議会の闇
斎藤知事が不信任決議を受け辞職し、その後再び選挙で勝利を収めるという異例の展開となった兵庫知事選挙。一連の過程では、地方政治の「村社会」と呼ばれる閉鎖的な体質や、秘密会議の問題が浮き彫りとなり、地方政治のあり方に根本的な疑問を投げかけた。 【独自】再逮捕された「美人すぎる寝屋川市議」の写真集全カットを公開する 私は2011年から2014年まで兵庫県議会議員であった。今回の百条委員会設置を主導した丸尾議員とは、無所属時代に同じ議員控室で机を並べた関係にあった。また、13年まで民主党に所属していたため、同委員会で斎藤知事を鋭く追及していた竹内議員は、民主党時代の1期先輩であった。こうした関係から、筆者は兵庫県議会の内部事情には一定の理解がある。 斎藤知事が「おねだり知事」や「パワハラ知事」とメディアで一斉に報じられ始めた頃、私は自身のラジオ(CROSS FM 「こあきないラジオ」)で「過剰な報道がなされていて、本質から離れて完全に政局化している」と発信していた。 それは、兵庫県議会に存在する「闇」を、自身の経験から知っていたからである。 たしかに、斎藤知事の内部通報への対応には一定の問題があったと思う。知事時代の言動にも、職員らが看過できないものがあった可能性はある。 しかし、最初の選挙で86万票という圧倒的な信任を得た知事が短期間で辞職を余儀なくされ、さらに「全会一致」で不信任が可決されるという事態は、民主主義の根幹を揺るがす大きな問題だったと認識している。 一方で、議会内の力学や閉鎖的な構造を知る身としては、「あの環境下では、一人の政治家に集中砲火を浴びせて葬る事態は十分起こり得るな」とも感じていた。ここでは「あの環境」について、自身の体験をもとに読者の皆様に説明したい。
なぜ「全会一致」で不信任案が可決されたのか
斎藤知事への不信任案が全会一致で可決された背景には、端的に言えば兵庫県議会特有の閉鎖的な構造がある。通常、不信任案が提出された場合、たとえ少数であっても反対や棄権が出るはずだが、今回は一切見られなかった。 歴史上、都道府県で不信任案を可決したのは全部で4県あるが、これまでに「全会一致」での可決はない。なかでも18年の宮崎県のケースは、官製談合事件で知事へ警察の捜査が入っているシリアスなタイミングで行われた不信任決議だったが、それでも欠席者(事実上の反対者)がいた。つまり、議員が何十人もいれば、何人かは反対するのが健全な民主主義なのである。 しかし、斉藤氏の場合、86人もの議員がいる兵庫県で欠席者が一人もいない「全会一致」で不信任となった。これだけでも、兵庫県議会が異常な状況に陥っていたと指摘できる。 実際、今回の一連の事件を追求する強い姿勢の持ち主として、百条委員会開催などを主導してきた丸尾まき議員が、選挙後にX(旧Twitter)で次のように謝罪していた。 「県議会によるこのタイミングの不信任案の提出は間違いでした。率直にお詫び申し上げます。会派間調整で進む中、『最後までやり切った上で、不信任案を出すか、中間報告を出した方が良い』との意見も出しましたが、それは受け入れられませんでした。議会が纏まった方が良いと提案者に名を連ねました。」(原文ママ) 丸尾さんは、芯の通った市民派で、体制側への追及はピカイチであり、自分の信念と違うことは、議会で1人になろうとも堂々と反対票を投じるほど強い意志の持ち主である。 そんな丸尾さんまでが「今回は議会がまとまった方がいい」と考え、第三者委員会の結論も出ないまま百条委員会を開き、その中間報告すら出ない中で不信任決議に賛成したのだ。反斎藤でまとまるために「結論ありき」での同調圧力が兵庫県議会の中でどれだけ強かったかがうかがい知れる。 この裏に見え隠れする異様さに、県民は強い違和感を覚え、当局や議会、それを報じるマスメディアへの不信を募らせていった……と筆者はとらえている。 こんな違和感だらけの不信任案を可決した議会の深部には、長年、地方政治を支配してきた「村社会」の論理が存在するのである。