大谷翔平とともにMLBに新たな歴史を刻んだ日系人がいた ドジャース実況アナが抱く「アジア系アメリカ人」の誇り
【「初めてはすばらしいが、決して最後になってはいけない」】 大学卒業後の2011年、ネルソンはイリノイ州のプロアイスホッケーチームでマルチメディア担当としてキャリアをスタート。その後、オレゴン州ユージーンの地元テレビ局、ターナースポーツ傘下のブリーチャーリポートを経て、2018年3月からはMLBネットワークとNHLネットワークでの勤務を開始した。同年は奇しくも、大谷がメジャーリーグでデビューした年でもあった。 「ただ、その年は公式戦で実況を担当する機会はありませんでした。初の実況は同年のアリゾナ・フォールリーグでした。2019年には日本で開催されたオールスターシリーズを任されました。フアン・ソト(現ニューヨーク・メッツ)やロナルド・アクーニャ(アトランタ・ブレーブス)が日本に行きましたが、私はニュージャージー州のブースから実況していました。午前1時頃に起きて仕事に臨む必要があり、大変でしたね。 2022年にはApple TVの『フライデーナイトベースボール』で実況を担当し、2023年からドジャースに採用されました。キャリアが驚くほど早いペースで進んでいますが、正直なところ、実況アナとしてはまだまだ勉強中です」 2023年からはスポーツ専門局・ESPNの看板番組『スポーツセンター』のアンカーのひとりにも加わっている。 アメリカは多様性を重視する社会だ。異なる背景やアイデアを持つ人々が集まることで、社会がよりよくなるという考え方に基づいている。しかし、その実現には時間がかかる。 たとえば、ジャッキー・ロビンソンの例が象徴的だ。ご存じのとおり、かつてのMLBではアフリカ系アメリカ人選手が排除されていた。野球は、優れた打者でも10回中7回アウトになる(打率3割)スポーツであり、知性、冷静さ、そして忍耐力が求められる。しかしかつての米国社会では、アフリカ系アメリカ人にはそれができないと決めつけられていた。 そんななか、ロビンソンは人種差別主義者たちによる執拗な嫌がらせや虐待にも屈せず、冷静にプレーを続け、確かな結果を残した。反抗することなく、卓越したプレーで自身の価値を証明した。その姿勢と実績により、彼は認められた。ロビンソンの偉業はアメリカ社会の意識を大きく変え、その後の1960年代に起きた公民権運動へとつながる重要な一歩となった。 かつては、日系人やアジア系の人々についてもステレオタイプな見方が存在していた。たとえば、数学は得意でも運動は苦手、器用だが体力では劣る、というようなイメージだ。なかには、真珠湾攻撃や、日本車の輸出でアメリカ人の職が奪われたことなどで、こそこそした、ずるい人々という偏見を持つ人たちもいた。感情を表に出さず、何を考えているかわからないという誤解もあった。そしてアジア系はスポーツ界のみならず、映画や音楽業界においてもスーパースターを欠いていた。 それが大谷翔平の登場により、イメージは大きく変わろうとしている。押しも押されぬMLBの看板選手だし、ネルソンもスポーツ報道の世界で着々と存在感を高めつつある。 MLBチームで初めてアジア系の実況アナになったことについて、ネルソンはこう語った。 「とても誇りに思っており、私のキャリアのなかで最も意義深い出来事だと感じています。この仕事を通じて、ほかの若いアジア系アメリカ人にインスピレーションを与えたいという思いが強くあります。毎日そのことを意識しながら仕事をしていますが、それが同時にプレッシャーでもある。初めてであることはすばらしいですが、決して最後になってはいけない。 日本人メジャーリーガーが、マッシー村上のあとに野茂英雄や伊良部秀輝と続いたように、私の後にも日系の実況アナが続いてくれることを願っています」 第2回(全3回)につづく
奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki