「ハニワと土偶の近代」(東京国立近代美術館)開幕レポート。戦前から現代まで、出土遺物への視線はなぜ、どのように変化した?
「埴輪・土偶ブーム」の裏側を探る展覧会
考古資料のなかでもとくに身近な存在として親しまれてきた埴輪や土偶。その独特の存在感に惹きつけられた芸術家も多く、出土遺物は美術に限らず、工芸や建築、写真、映画、演劇、文学、さらにはマンガやテレビ番組など、幅広い文化領域で扱われてきた。 作家たちはなぜ太古の遺物に着目したのか? その時々の社会的・文化的背景とともに、明治時代から現代にかけての文化史における「出土モチーフ」の系譜を追う展覧会「ハニワと土偶の近代」が10月1日から東京国立近代美術館でスタートした。企画担当は同館主任研究員の花井久穂と成相肇。主に花井が埴輪、成相が土偶を担当した。開幕に先駆けて行われた内覧会の様子をレポートする。
本物の埴輪や土偶を中心とする展覧会ではない
本展は埴輪や土偶をテーマにした展覧会ではあるが、「この展覧会は本物の埴輪と土偶を中心とする展覧会ではございません」と花井研究員。本物の埴輪は2体のみ、土偶の展示はなく、埴輪や土偶を描いた、もしくはモチーフにした絵画や工芸、デザイン、造形物など、埴輪や土偶の「イメージ」を扱う展覧会となる。 ここでフォーカスされるのは、埴輪や土偶が注目を集めた一時期に、なぜそのブームが起きたのかということ。埴輪は戦前は戦意高揚にも使われ、戦後は平和国家としての復興と結びつくなど、出土遺物が注目を集め、表象される際にはいつも様々な背景があった。本展ではその変遷を明治から現代までの豊富な作品や資料とともに読み解いていく。 10月16日から東京国立博物館で埴輪の展覧会「挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展『はにわ』」が行われるが、花井は「東博が表舞台であれば、裏舞台を掘り起こすのがこちらの展覧会」と説明する。
「好古」と「考古」が重なり合う、出土遺物を描いた作品
展示は序章に加え、時系列に沿って戦前、戦後、現代を辿る全4章で構成。 古物を愛好する「好古」と、「考古」、そして美術が重なり合う場で描かれた出土遺物を紹介する序章「好古と考古――愛好か、学問か?」は、会場である東京国立近代美術館の歴史を出発点とする。 1979年から1980年にかけて同館の地下収蔵庫新設に伴う発掘調査の際に出土した縄文時代、弥生時代の土器や、1954年の開館2年目に行われた出土品や古美術に当時の目を向けた展覧会「現代の眼:日本美術史から」のポスターが展示されている。 ガラスケースに並ぶ掛け軸の作品は、幕末から明治にかけて、遺物を発掘、蒐集していた放浪の絵師・蓑虫山人の《陸奥全国古陶之図》(1882-87頃)。茶道具や植物とともに、作家自身が収集した土偶や土器が中国文人画風に描かれている。 さらに、河鍋暁斎が土師部の始祖とされる野見宿禰が埴輪作りをしているところを描いた想像図《野見宿禰》(1831-89)や、明治の洋画家・五姓田義松による埴輪の精巧なスケッチなども展示される。