【特集】能登半島地震からまもなく1年、石川県珠洲市の“現在地”を取材 動き出す復興への歩み「真剣に落ち込んでいる暇もなかった。なるようになる」
泉谷珠洲市長: 「人口減少については、11月末、この11か月間ということになるが、人口減少が1132人。震災前だとだいたいそれでも人口減少はしていたが、年間300人ほどだったので、一気に加速している」 「若者が金沢に流出している?」という記者からの質問に、「ある」と答えた多田さん。 Q.つなぎとめるための方法、難しさはある? 多田さん: 「そうだね。簡単にいかないでこっちにいてと言っても、こっちに生活基盤、いわゆる仕事とか今の段階であるか。学校の避難所を子どもたちに開放したのは8月。だけど、お父さんお母さんの仕事の関係、それから地震に対する恐怖感みたいなものがあって、なかなか来られないよというのもある。まず残って、今いる人たちで、少しずつ、宝立の町を形作っていく」
珠洲市内の各地区では、「まちづくり協議会」が発足。「こんな町にしたい」という提案をする住民もいるそうです。 多田さん: 「絵を描く絵師、流木作家、ピアノやトロンボーン、クラリネット、紙芝居、踊りの先生。たぶん踊りの先生は中島さん(由起さん)じゃないかな。で、こういう人らが集まってきて、これ(「まちづくり協議会」が作った資料)は、金沢に行っているんだけど、こっちに畑があるので、畑を作るためにこっちに来たいなと。そのための町づくりもいいよねって、そういう提案」 復興へ向けた“歩み”は、始まったばかりです。 多田さん: 「やっぱりこの困難を越えていくときに、やっぱり誰かを頼るというのはだめだよと。やっぱり避難してきた人は少なくとも、いろいろつらい体験・恐怖体験、共有できる恐怖体験があるんだから。やっぱりみんなで力を合わせて、みんなで乗り越えていかないと、というのは、(2024年)1月2日、みなさんに呼びかけたときに言った。やっぱり私は、自分たちの町は自分たちでしっかり守って、元に復帰させる。そのためにできないところは、行政に要求していく」 今年9月、豪雨に見舞われた奥能登。宝立町のすぐ近くでも、川が氾濫。3か月が経過した今も、流木や土砂が残ったままです。